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作曲家検索
作曲家一覧
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マックス・ブルッフ
1838年1月6日 - 1920年10月2日
ドイツ
マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)は、ケルンに生まれベルリンで没したドイツの作曲家、指揮者、教育者。
アラン・メンケン
1949年7月22日
アメリカ
アラン・メンケン(Alan Menken、1949年7月22日 - )は、アメリカ合衆国のミュージカル音楽および映画音楽の作曲家、ピアニスト。 舞台音楽とディズニー映画の映画音楽で特に知られる。アカデミー作曲賞、アカデミー歌曲賞各4回、計8回アカデミー賞を受賞しており、音楽関連の部門でアルフレッド・ニューマンの9回に続く2番目の受賞回数となっている。
アレクサンドル・グラズノフ
1865年8月10日 - 1936年3月21日
ロシア
アレクサンドル・コンスタンティノヴィチ・グラズノフ(ラテン文字転写: Aleksandr Konstantinovich Glazunov, 1865年8月10日 - 1936年3月21日)は、ロシア帝国末期およびソビエト連邦建国期の作曲家・音楽教師・指揮者。ペテルブルク音楽院の院長を1906年から1917年にかけて務め、ペトログラード音楽院およびロシア革命後のレニングラード音楽院への改組を担った。
パウル・ヒンデミット
1895年11月16日 - 1963年12月28日
ドイツ
パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith、1895年11月16日 - 1963年12月28日)は、ドイツ・ハーナウ出身の作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。その他にもヴァイオリン、クラリネット、ピアノなど様々な楽器を弾きこなす多才な演奏家であった。 第一次世界大戦後、ロマン派からの脱却を目指し、新即物主義を推進。20世紀ドイツを代表する作曲家として同時代の音楽家に強い影響を与えた。
ピエトロ・マスカーニ
1863年12月7日 - 1945年8月2日
イタリア
ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni, 1863年12月7日 リヴォルノ - 1945年8月2日 ローマ)は、イタリアのオペラ作曲家、指揮者。 1890年に、ローマの楽譜出版社ソンゾーニョ(Musicale Sonzogno)の一幕歌劇コンクールに応募して当選した代表作『カヴァレリア・ルスティカーナ』によって驚異的な成功を収める。 存命中は、オペラで驚くほどの成功をおさめ、同時に指揮者としても非常に成功を収めた。マスカーニの作風は、友人でライバルだったプッチーニとは大変に異なっている。
ジェイムズ・バーンズ
1949年9月9日
アメリカ
ジェイムズ・チャールズ・バーンズ(James Charles Barnes、1949年9月9日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家・指揮者。専攻楽器はチューバ。主として吹奏楽曲の作曲で知られる。日本国内における片仮名表記では、「ジェームズ・バーンズ」や「ジェームス・バーンズ」とするものも多く見受けられる。
ダリウス・ミヨー
1892年9月4日 - 1974年6月22日
フランス
ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud, 1892年9月4日 - 1974年6月22日)は、フランス人の作曲家。名はダリユス、ダリュスとも表記される。ピアニストや指揮者としても活躍し、自作の録音を残している。フランス6人組の一人。
ベンジャミン・ブリテン
1913年11月22日 - 1976年12月4日
イギリス
ブリテン男爵エドワード・ベンジャミン・ブリテン(Edward Benjamin Britten, Baron Britten OM CH, 1913年11月22日 - 1976年12月4日 )は、イギリスの作曲家・指揮者・ピアニスト。 代表作としては オペラ『ピーター・グライムズ』や『シンプル・シンフォニー』、『戦争レクイエム』、バロック期の作曲家ヘンリー・パーセルの劇音楽『アブデラザール』からの主題を引用した 『青少年のための管弦楽入門』 が知られている。
山田耕筰
1886年6月9日 - 1965年12月29日
日本
山田 耕筰(やまだ こうさく、1886年〈明治19年〉6月9日 - 1965年〈昭和40年〉12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。 日本語の抑揚を活かしたメロディーで日本音楽史に残る多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動し、欧米諸国でも名前が知られている。
ヴィットーリオ・モンティ
1868年1月6日 - 1922年6月20日
イタリア
ヴィットーリオ・モンティ(Vittorio Monti、1868年1月6日 - 1922年6月20日)は、イタリアの作曲家である。郷里のナポリでヴァイオリンと作曲を学ぶ。1920年ごろ指揮者としてパリに行き、同地でバレエやオペレッタをいくつか作曲した。マンドリン独奏またはヴァイオリン独奏のための有名な『チャールダーシュ』を除けば、実質的には無名の作曲家である。たいていのジプシー楽団がモンティの『チャールダーシュ』をレパートリーにしている。モンティはまたマンドリンの教則本を出版している。
フランツ・レハール
1870年4月30日 - 1948年10月24日
オーストリア
フランツ・レハール(1870年4月30日 - 1948年10月24日)は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれの作曲家。オーストリアやドイツを中心にウィンナ・オペレッタ(ドイツ語版)の分野で活躍した。
ジャック・イベール
1890年8月15日 - 1962年2月5日
フランス
ジャック・フランソワ・アントワーヌ・イベール(Jacques Fran?ois Antoine Ibert, 1890年8月15日 - 1962年2月5日)は、フランスの作曲家。しばしばその作風は、軽妙、洒脱、新鮮、洗練などと言った言葉で評される。
ミハイル・グリンカ
1804年6月1日 - 1857年2月15日
ロシア
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(ロシア語:Михаил Иванович Глинка、ミハイール・イヴァーナヴィチュ・グリーンカ:Mikhail Ivanovich Glinka、1804年6月1日スモレンスク近郊ノヴォスパスコイェ(ロシア語版) - 1857年2月15日ベルリン)は、ロシアの作曲家。ロシア国外で広い名声を勝ち得た作曲家の一人で、「近代ロシア音楽の父」と呼ばれた。
ヨハン・シュトラウス1世
1804年3月14日 - 1849年9月25日
オーストリア
ヨハン・シュトラウス1世(ドイツ語: Johann Strauss I. (Vater)、1804年3月14日 - 1849年9月25日)は、オーストリア帝国のウィーンを中心に活躍した作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト。ヨハン・シュトラウス(父)ともいう。 ヨーゼフ・ランナーと「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争を繰り広げたことで知られ、代表作には『ラデツキー行進曲』やワルツ『ローレライ=ラインの調べ』などがある。
ガエターノ・ドニゼッティ
1797年11月29日 - 1848年4月8日
チザルピーナ
ガエターノ・ドニゼッティ(Domenico Gaetano Maria Donizetti, 1797年11月29日 - 1848年4月8日)は、イタリアのベルガモに生れて同地で没したオペラの作曲家。ジョアキーノ・ロッシーニやヴィンチェンツォ・ベッリーニと共に19世紀前半のイタリアを代表するオペラ作曲家として人気を博した。
アレクサンドル・スクリャービン
1872年1月6日 - 1915年4月27日
ロシア
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(ロシア語: Александр Николаевич Скрябин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。作曲者自身はフランス語風に Alexandre Scri?bine(もしくは Scriabine)と綴ることを好んだ。英語では Alexander Scriabin, ドイツ語では Alexander Skrjabin となる。また、日本ではスクリアビンと表記される場合もある。
ヤン・ヴァン・デル・ロースト
1956年3月1日
ベルギー
ヤン・フランス・ヨーゼフ・ヴァン・デル・ロースト(Jan Frans Joseph Van der Roost、1956年3月1日 - )は、ベルギーの作曲家。日本においてはジャン・ヴァン=デル=ロースト、ヤン・ファン=デル=ローストあるいはヤン・ヴァン=デル=ローストなどと書かれる。
アルノルト・シェーンベルク
1874年9月13日 - 1951年7月13日
オーストリア=ハンガリー
アルノルト・シェーンベルク(Arnold Sch?nberg, 1874年9月13日 - 1951年7月13日)は、オーストリアの作曲家、指揮者、教育者。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られる。アメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」"?"(o-ウムラウト)を"oe"と表記したSchoenbergという綴りを自ら用いた。アメリカでは「アーノルド・ショーンバーグ」と呼ばれた。
マヌエル・デ・ファリャ
1876年11月23日 - 1946年11月14日
スペイン
マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ(Manuel de Falla y Matheu, 1876年11月23日 カディス - 1946年11月14日 アルゼンチン・コルドバ)は、スペインの作曲家。晩年にフランコ政権を避けてアルゼンチンに亡命した。
ヨハン・パッヘルベル
1653年9月1日 - 1706年3月9日
ドイツ
ヨハン・パッヘルベル(独: Johann Pachelbel、1653年9月1日(受洗) - 1706年3月9日(埋葬))は、バロック期のドイツの作曲家であり、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者で、教師でもある。宗教曲・非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人である。パッヘルベルの作品は生前から人気が高かったため、師事する弟子も多く、またドイツ中部・南部の多くの作曲家の手本となった。
リチャード・ロジャース
1902年6月28日 - 1979年12月30日
アメリカ
リチャード・チャールズ・ロジャース(Richard Charles Rodgers, 1902年6月28日 - 1979年12月30日)は、アメリカ合衆国の作曲家。ミュージカルの作曲で広く知られる。ブロードウェイ・ミュージカル43作品、「900曲以上を作曲」しており、20世紀のアメリカの作曲家の中でも有名な1人に数えられ、彼の楽曲はポピュラー音楽の発展に貢献した。なお、R&Bシンガーのリチャード・ロジャースとは、同名異人である。代表曲には「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「10番街の殺人」「魅惑の宵」「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」など、多くの楽曲がある。
木下牧子
1956年9月20日
日本
木下 牧子(きのした まきこ、1956年9月20日 - )は、日本の作曲家。管弦楽、吹奏楽、室内楽、声楽など幅広いジャンルにわたって作品を発表し、高い支持を得ている。
ジャック・オッフェンバック
1819年6月20日 - 1880年10月5日
ドイツ
ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819年6月20日 - 1880年10月5日)は、ドイツに生まれフランスで活躍(1860年に帰化)した作曲家、チェリストである。オペレッタの原型を作り、オペレッタの父と言われ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家である。
ジュリオ・カッチーニ
1618年12月10日
イタリア
ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini, 1545年/1551年頃 - 1618年12月10日)はイタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人として知られる。
エンニオ・モリコーネ
1928年11月10日 - 2020年7月6日
イタリア
エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone、1928年11月10日 - 2020年7月6日)は、イタリアの作曲家である。『太陽の下の18才』『荒野の用心棒』『続・夕陽のガンマン」『シシリアン』『死刑台のメロディ』などの映画音楽を担当したことで知られた。ローマで生まれ、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院でゴッフレド・ペトラッシに作曲技法を学んだ後、作曲家としてテレビ・ラジオ等の音楽を担当した。1950年代末から映画音楽の作曲、編曲、楽曲指揮をしている。