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2024/05/15
2024年はべドルジハ・スメタナの生誕200年のメモリアルイヤーです。ドイツ語名のフリードリヒ・スメタナとしても知られますが、生まれはチェコで、作曲家、指揮者、ピアニストとして活躍しました。 今回はスメタナの生い立ちをはじめ、代表曲や今後のコンサート情報についてお伝えします。
1824年にチェコで生まれたスメタナは、10歳のころにはピアノと作曲の勉強のために一人でチェコの首都・プラハへ行くなど幼い頃から音楽に親しみ、英才教育を受けてきました。 その頃チェコではオーストリア帝国の支配から抜け出し、独自の文化を守るためにも独立国家を目指そうという機運が高まっていました。結果的にスメタナはチェコ民族主義に関係する国民楽派を発展させた先駆者として知られるようになり、音楽を通してチェコの国家や社会に影響を与えました。 幼少期からピアノ演奏の才能で頭角を現していましたが、作曲家としてはなかなか芽が出ずスウェーデンへ移住するなど苦労を重ねました。 しかしスウェーデンで聖歌隊指揮者として名を挙げたことをきっかけに、オーケストラ音楽の作曲にも着手し始めます。 1860年代初頭にはチェコオペラという新たなジャンルでの作曲を手掛けるようになります。しかし自身が手掛けたオペラ作品で指揮を務めると論争の的に。結果的にはスメタナ自身の創作活動に悪影響を及ぼしたほか、1874年には完全に失聴してしまうまでになりました。 その後も作曲に取り組みますが、1884年には保護施設へと収監されまもなくその人生を終えました。
スメタナを代表する「モルダウ」は、クラシック音楽に精通していなくても一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。 「モルダウ」は1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩で成り立つ連作交響詩《わが祖国》の第2曲にあたります。交響詩とは、物語や風景などを音楽で表現したオーケストラ曲のことです。 他にも多数の歌劇の作曲をしたほか、《わが祖国》以外の交響や詩、室内音楽、ピアノ曲の作曲にも取り組みました。 1880年以降、晩年には交響組曲『プラハの謝肉祭』やオペラ『ヴィオラ』の作曲に取り組みましたが、次第に病が悪化していき、いずれも完成することはありませんでした。
コンサートスクウェアでは、作曲家の曲が演奏されるコンサートが検索できます。スメタナの楽曲が演奏されるコンサートの一覧はこちらです。 https://www.concertsquare.jp/composer/96 また、曲ごとに開催されるコンサートも検索することができます。こちらのスメタナの曲一覧からお好きな曲のリンクをクリックしてください。 https://www.concertsquare.jp/composer/96/music 生誕200年のこのタイミングで、「モルダウ」をはじめさまざまなスメタナの曲を聴きにコンサートに足を運んでみるのはいかがでしょうか。 文 : 藤枝あおい
中の人は、アマチュアオーケストラで打楽器をやっています