作曲家検索
作曲家一覧
311-320件 / 1157件中
アンリ・ヴュータン
1820年2月17日 - 1881年6月6日
ネーデルラント連合
アンリ・フランソワ・ジョゼフ・ヴュータン(Henri Fran?ois Joseph Vieuxtemps, 1820年2月17日 - 1881年6月6日)は、フランスで活躍したベルギー人のヴァイオリニスト・作曲家。ヴュータン作品の根幹をなすのはヴァイオリン曲であり、7曲ある協奏曲と、変化に富んだ短いサロン小品が含まれるが、生涯の終わりにかけてヴァイオリン演奏を断念してから、しばしば他の楽器に切り替え、2つのチェロ協奏曲と1つのヴィオラ・ソナタなどを作曲した。
ジャック・オトテール
1674年9月29日 - 1763年7月16日
フランス
ジャック=マルタン・オトテール(Jacques-Martin Hotteterre, 1674年9月29日 - 1763年7月16日)は、フランス盛期バロック音楽の作曲家・フルート奏者。パリの管楽器職人の家庭に生まれ、パリに没した生粋のパリジャンである。名前は単にジャック・オトテール(Jacques Hotteterre)とも呼ばれ、またローマ留学をしたことから、オトテール・ル・ロマン(Hotteterre Le Romain)という愛称でも知られている。
ニルス・ゲーゼ
1817年2月22日 - 1890年12月21日
デンマーク
ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼ(またはガーゼ、ガーデ、Niels Wilhelm Gade, 1817年2月22日 - 1890年12月21日)は、デンマークの作曲家・指揮者・音楽教師。北欧諸国の音楽界の近代化に貢献した。
ハインリヒ・シュッツ
1585年10月18日 - 1672年11月6日
ドイツ
ハインリヒ・シュッツ(1585年10月8日(ユリウス暦)/10月18日(グレゴリオ暦)ケストリッツ - 1672年11月6日 ドレスデン)は、ドイツの作曲家、ドレスデン宮廷楽長。
ドメニコ・チマローザ
1749年12月17日 - 1801年1月11日
イタリア
ドメニコ・チマローザ(Domenico Cimarosa, 1749年12月17日、ナポリ近郊アヴェルサ- 1801年1月11日、ヴェネツィア)は、イタリアの作曲家。 ローマで成功し、オペラ・ブッファの第一人者となる。後にペテルブルグとウィーンで短期間ながら宮廷楽長に就任。共和制ナポリを支持して死刑判決を受けたため、ヴェネツィアへ政治亡命した後に急死した。
ニコライ・メトネル
1880年1月5日 - 1951年11月13日
ロシア
ニコライ・カルロヴィチ・メトネル(ロシア語: Николай Карлович Метнер ニカラーイ・カールラヴィチュ・ミェートニェル;ラテン文字表記の例:Nikolai Karlovich Medtner、1880年1月5日モスクワ - 1951年11月13日ロンドン)は、 ロシアの作曲家、ピアニスト。作品番号にしておおよそ60以上におよぶ曲集と、番号なしの若干の作品を残す。作品のジャンルは、ピアノ独奏曲、ヴァイオリンとピアノのための曲、ピアノ伴奏つき歌曲、ピアノ五重奏曲、2台のピアノのための作品、3曲のピアノ協奏曲などである。
越谷達之助
日本
越谷 達之助(こしたに たつのすけ、1909年 - 1982年)は、日本の音楽教育家、作曲家、伴奏ピアニスト。 1931年、東京音楽学校師範科を卒業。和歌山師範学校に教官として赴任する。その後、俳優(芸名・高倉彰)を経て作曲家、伴奏ピアニスト(特に三浦環の伴奏家として著名)として各地で活躍する。第二次世界大戦後は、青山学院高等部に長年勤め、その傍ら同学院大学、短大講師を務めた。教育者としては一級であった。
久保田孝
1942年7月12日
日本
久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、日本の指揮者・作曲家・マンドリン教師。東京都小石川区(現文京区)出身。明治大学法学部、カールスルーエ音楽大学指揮科、ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。
植松伸夫
1959年3月21日
日本
植松 伸夫(うえまつ のぶお、1959年3月21日 - )は、日本の作曲家。高知県高知市出身。株式会社DOG EAR RECORDS、有限会社SMILEPLEASE代表。
PRおすすめのコンサート
第5回NSGコンサート(NSG DREAM MATCH)
入場料・ドリンク代無料、先着30名に特典(オリジナルグッズ)あり