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作曲家一覧

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ツェーザリ・キュイ

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1835年1月18日 - 1918年3月26日

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ロシア

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ツェーザリ・アントーノヴィチ・キュイ(ロシア語: Це́зарь Анто́нович Кюи́ Ru-Tsezar-Antonovich-Kyui.ogg 発音, 1835年1月18日 ヴィリニュス - 1918年3月26日)は、ロシアの作曲家、音楽評論家・軍人で、ロシア五人組の一人である。作曲者自身の用いたフランス語表記に従って、セザール・キュイ(César Cui)と呼ばれることが多い(リトアニア語では「ツェーザリウス=ベニヤミヌス・キュイ(Cesarius-Benjaminus Cui」となる )。10曲のオペラを残したほか、ピアノ曲『25の前奏曲』など素朴な作品もある。五人組の中では長寿に恵まれ、厖大な作品数を残した。 実践的な軍事教練の専門家として著名でありながら、余技で精力的に作曲活動を続けた。同時に、辛辣で攻撃的な音楽評論家としても活躍した。このためロシア楽壇内で人望がなかったが、没年まで作曲を続けた。ロシア国内においても全集編纂の話はなく、出版された全作品がLyle Neffの手によって回収できたのは、20世紀末に入ってからである。

ジェリー・ボック

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1928年11月23日 - 2010年11月3日

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アメリカ

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ジェロルド・ルイス・ボック(1928年11月23日 - 2010年11月3日)は、アメリカのミュージカル劇場の作曲家。 1959年のミュージカル『フィオレロ!』でシェルドン・ハーニックと共にトニー賞最優秀ミュージカル賞とピューリッツァー賞演劇部門を、1964年のミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』でシェルドン・ハーニックと共にトニー賞最優秀作曲家・作詞家賞を受賞。

サルヴァトーレ・カルディッロ

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1874年2月20日 - 1947年2月5日

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イタリア

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サルヴァトーレ・カルディッロ(1874年2月20日 - 1947年2月5日)はイタリア系アメリカ人の作曲家。 カルディッロが1911年に発表したロマンス『恩知らずの心』(Catarì, Catarì, pecchè me dici sti parole amare)は、アレッサンドロ・シスカ(リッカルド・コルディフェッロ)のナポリ方言のテキストにのせてアメリカで書かれたもので、イタリア系アメリカ移民による唯一の有名なナポリ歌曲である。

稲森安太己

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日本

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2006年 東京学芸大学教育学部芸術文化課程音楽専攻卒業。東京学芸大学大学院修了。それまでに作曲を山内雅弘、金田潮、河村めい子、ダニエル・ケスナーに師事。 2008年以後はドイツに住み、ヨハネス・シェルホルン他の教授陣の下で研鑽を積んでいる。日本人として、初めてベルント・アロイス・ツィンマーマン奨学金を受賞。その作品は尺八ソロのための作品であった。

橋本國彦

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1904年9月14日 - 1949年5月6日

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日本

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橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。

アルフレート・シュニトケ

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1934年11月24日 - 1998年8月3日

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ソビエト連邦

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ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる。 ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。 1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。1948年にモスクワに転居。1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経ても猶ロシアに根付いているロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。

稲本響

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1977年9月10日

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日本

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本人仕様の特注ピアノ「Steinway & Sons(New York)」を全国の各コンサート会場やレコーディングスタジオに毎回持ち運ぶという、世界でも稀なスタイルを持つ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のトップメンバーとも共演。 映画・ドラマ・舞台・CM等の作曲・音楽監督も務め、その作品は国内外において数々の賞を受賞している。 2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の音楽を担当。

ヴァレンティン・シルヴェストロフ

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1937年9月30日

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ウクライナ

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ヴァレンティン・ヴァシリョヴィチ・シルヴェストロフ(ウクライナ語: Валенти́н Васи́льович Сильве́стров, ラテン文字転写: Valentin Vasylyovych Silvestrov, 1937年9月30日 キエフ - )は、ウクライナの現代音楽の作曲家。 1937年、キエフ生まれ。ドイツ語系の技師と教師の家庭に生まれる。両親は息子に様々な種類の教育の機会を与えたが、音楽以外に魅かれなかった。音楽学校を卒業し、15歳から作曲を試み始めるものの、キエフ建築技術大学 (The Kyiv National University of Construction and Architecture) に入学する。3年後の1958年に同校を退学してキエフ音楽院に入学し、作曲をボリス・リャトシンスキーのクラスで学んだ。1964年に同音楽院を卒業。1960年代に『キエフ・アバンギャルド』に加わり(参加者にはレオニード・グラボフスキー、ヴィタリー・グズャツキー、ヴラディミール・グバ 、イーゴリ・ブラジュコフらがいた、反体制文化の活動をしていた。

渡辺俊幸

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1955年2月3日

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日本

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渡辺 俊幸(わたなべ としゆき、1955年〈昭和30年〉2月3日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者、音楽プロデューサー。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事。洗足学園音楽大学(音楽・音響デザインコース)客員教授。

ジョン・アイアランド

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1879年8月13日 - 1962年6月12日

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イギリス

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ジョン・ニコルソン・アイアランド(John Nicholson Ireland, 1879年8月13日 – 1962年6月12日)は、イギリスの作曲家。スコットランド系。 アイアランドは、スタンフォードからドイツ音楽の古典、とりわけベートーヴェンやブラームスの作品について薫陶を受けたが、青年時代にドビュッシーやラヴェルの作風のほか、ストラヴィンスキーやバルトークの初期作品からさえ影響を受けた。これらの影響を通じて、独自の「イギリス印象主義音楽」を繰り広げたため、その頃イギリスで優勢を誇った民謡に依拠する様式よりも、フランス印象主義音楽やロシア象徴主義音楽に近似した、繊細・瀟洒な作風を示している。 他の印象主義の作曲家のように、アイアランドも自由な形式による性格的小品を好み、唯一のピアノ協奏曲を除けば、交響曲やオペラのような大作は手懸けなかった。いくつかの室内楽曲や、かなりの数のピアノ曲がある。とりわけピアノ曲「聖なる少年」(The Holy Boy )は、さまざまな編曲版を通じて最も有名なアイアランド作品となっている。

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