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作曲家一覧

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マックス・リヒター

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1966年3月22日

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ドイツ

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ドイツ生まれのイギリスの作曲家、ピアニスト。マックス・リクターとの表記もある。エディンバラ大学と王立音楽アカデミーでピアノと作曲を学び、フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事した。1989年に前衛的なパフォーマンスを行う6人組のピアニスト・グループ「ピアノ・サーカス」を結成する。

オルランド・ディ・ラッソ

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1594年6月14日

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ベルギー

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オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso:イタリア語形)、オルランドゥス・ラッスス(Orlandus Lassus:ラテン語形)(1532年 - 1594年6月14日 ミュンヘン)は、後期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家。 名前の表記としては、近年では、Orlande de Lassus や Roland de Lassus なども使われるようになっている。

フランシスコ・ゲレーロ

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1528年10月4日 - 1599年11月8日

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スペイン帝国

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フランシスコ・ゲレーロ(Francisco Guerrero, 1528年10月4日? ? 1599年11月8日)はルネサンス時代に活躍した、スペインの作曲家。セビリャに生まれ、没した。

カイヤ・サーリアホ

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1952年10月14日 - 2023年6月2日

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フィンランド

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カイヤ・サーリアホ(Kaija Anneli Saariaho, 1952年10月14日 - 2023年6月2日)は、フィンランドの作曲家。ヘルシンキ出身。 地元のシベリウス音楽院を卒業後、フライブルクにてブライアン・ファーニホウとクラウス・フーバーに師事し、パリのIRCAMでも経験を積んだ。1989年にイタリア賞を獲得、クロノス・カルテットのための作品によってリンカーン・センターからアルス・エレクトロニカ賞を、またアンサンブル・アンテルコンタンポランのための作品によってIRCAMより授賞されている。2000年にはソプラノと電子楽器のための《Lonh 》によって北欧協議会音楽賞を授与された。2001年にはロルフ・ショック賞音楽部門にて受賞している。余り言及がされないが、北欧出身でクラーニヒシュタイナー音楽賞の作曲部門で受賞した女性は彼女が最初である。音楽芸術誌上で間宮芳生が絶賛し、日本の聴衆にもかなり親しまれた存在である。2014年度の武満徹作曲賞の審査員を務めた。

シリル・スコット

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1879年9月27日 - 1970年12月31日

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イングランド

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イングランド北部はマージーサイドのオクストン出身。父ヘンリー・スコットは船主で古代ギリシャ研究家であった。幼少期から楽才を発揮し、12歳でフランクフルトホッホ音楽院ピアノ科に入学し、21歳で最初の交響曲を完成させた。1909年に自作のピアノ曲を6曲ウェルテ・ミニョン社のピアノロールに録音している。 亡くなる3週間前まで作曲活動を続け、91歳で他界した。亡くなる頃には、スコットは過小評価されるようになっていた。再評価が始まったのはつい近年のことである。

ネストル・マルコーニ

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1942年6月15日

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アルゼンチン

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1942年6月15日、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ生まれ。11歳よりピアノと作曲の勉強を始める。音楽理論をアルトゥーロ・シュナイダー(Arturo Schneider)に、また和声と対位法をルイス・ミリシ(Luis Mirisi)に師事。父親に買ってもらったバンドネオンに魅せられる。現在、バンドネオンのヴィルトゥオーゾ、最高のテクニシャンと言われるマルコーニだが、バンドネオン奏法はピアノで学んだ事をバンドネオンに応用させる、という形で独学で習得したのである。と同時にその当時のラウレンス、トロイロ、ピアソラ他の楽団マスター達の演奏に触れ、多大な影響を受ける。16歳でプロデビュー(RosarioのラジオLT3スタジオ)。20歳より家族とともにブエノスアイレスに拠点を移す。ホセ・バッソのオーケストラのメンバーとなり、中南米ツアーやカーニョカトルセでの演奏活動をする。ピリオドタンゴ、モダンタンゴ、コンテンポラリータンゴの3つを兼ね揃えた心技体の全てで非の打ち所のないプレイを披露している人物の一人である。現在はセステートの活動が目立つオラシオ・ロモなどと並ぶ第一級の名人である。

フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー

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1775年12月16日 - 1834年10月8日

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フランス

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フランソワ=アドリアン・ボワエルデューはフランスのオペラ作曲家・ピアニスト。19世紀前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスのモーツァルト」と呼ばれた。ただし、実際はベートーヴェンと同世代である。

フランチェスコ・バルサンティ

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イタリア

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フランチェスコ・バルサンティ(Francesco Barsanti, 1690年 - 1772年)は、イタリア出身の作曲家、フルート奏者、オーボエ奏者。イギリスで活動した。 ルッカ出身。1708年にパドヴァに行き科学を学んだが、パドヴァでの演奏会に触れて音楽に専念することに決めた。パドヴァで音楽を学んだ後、1714年からロンドンでオーケストラ奏者として活動した。1735年にスコットランドの女性と結婚し、以後スコットランドで生活をした。1750年にロンドンに戻ったが、今度はヴィオリストとしてだった。ロンドンの劇場で演奏活動を行ったが、貧困のうちに死去した。

ホアン・クリソストモ・アリアーガ

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1806年1月27日 - 1826年1月17日

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スペイン

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フアン・クリソストモ・ハコボ・アントニオ・デ・アリアーガ・イ・バルソーラ(Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola, 1806年1月27日 - 1826年1月17日)は、スペインの作曲家。バスク人。スペインのモーツァルトとの異名をとる。

バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデ

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スペイン

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バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデは、スペインの作曲家、ファゴット奏者。 クエンカ出身。宮廷音楽家だった父から音楽訓練を受けた後、聖アウグスチノ修道会に入った。その後中央ヨーロッパを旅し、1628年から1630年までインスブルックのオーストリア大公レオポルト5世の宮廷でファゴット奏者として働いた。その後、オーストリアやポーランド各地の宮廷に仕え、1638年にヴェネツィアで『カンツォーナ、ファンタジア、コッレンテ第1集』を出版した。その他に声楽曲の手稿譜が残存している。