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作曲家一覧
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ジョン・ジェンキンズ
イングランド
ジョン・ジェンキンズは、イングランドの作曲家。ジェンキンズはリュート奏者であり、リラ・ダ・ガンバ(リラ・ヴァイオル)のヴィルトゥオーソでもあった。ジェンキンズは長年にわたって活躍した、多産な作曲家であった。生涯のほとんどは、ウィリアム・バードからヘンリー・パーセルの時代にまでまたがっており、イギリス音楽の大変化期の生き証人となった。
トマス・モーリー
イギリス
トマス・モーリー は、ルネサンス音楽末期のイギリスの作曲家である。イングランド東部のノリッジ生まれ。イングリッシュ・マドリガルの作曲家であり、早い時期から多くの快活明快なマドリガルやバレットを作曲した。モーリーのバレットは、イタリアのジョヴァンニ・ガストルディのバレットに習ったものであるが、それを英語にあったイギリス独自のものに発達させた。
テオ・シャルリエ
1868年7月17日 - 1944年10月9日
ベルギー
テオ・シャルリエ(Theophile Noel Charlier、1868年7月17日 - 1944年10月9日)はベルギーのトランペット奏者、作曲家、教師。 コルネットの人気が比較的高かった時代にトランペットを好んだことで知られる。
アントワーヌ・フォルクレ
フランス王国
アントワーヌ・フォルクレはフランス盛期バロック音楽の作曲家。マラン・マレとともにフランス・ヴィオール界のヴィルトゥオーゾの双璧と呼ばれた。優雅で暖かな美音を特色とするマラン・マレが「天使のようなマレ」と呼ばれたのに対して、フォルクレは表現衝動に富んだ鬼気迫る演奏から「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれた。このような評価は、フォルクレの気性の激しさをも暗示している。 パリで音楽家の家系に生まれ、弟ミシェル、息子ジャン=バティストとニコラ・ジルはいずれも作曲家になった。1689年にルイ14世の宮廷室内楽団員に選ばれ、ヴェルサイユ宮殿で演奏に携わる。1710年まで夫人のクラヴサン伴奏によって独演を続け、1730年にマント=ラ=ジョリに隠退し、その地で臨終を迎えた。 フォルクレは自分の神秘的なイメージを好んで、自作を出版しなかった。また長男ジャン=バティストに対して(おそらく嫉妬から)冷たく酷い仕打ちをしたが、ジャン=バティストは父親の作品が世に埋もれることを惜しんで、父親の死後2年の1747年に、そのヴィオール曲集、及びそのクラヴサン独奏用の編曲版を出版した。
向井響
日本
1993年静岡市生まれ。3歳よりピアノと作曲を学ぶ。 これまでにローソン・メイ作曲賞、マリン・ゴレミノフ国際作曲賞を受賞。第6回マータン・ギヴォル国際作曲コンクール第1位。ORDA-2019作曲部門第1位。2018年ストラスブール現代音楽祭最優秀賞。第84回日本音楽コンクール作曲部門第1位。岩谷賞、明治安田賞、三善賞を受賞。第33回ACL青年作曲賞日本代表作品に選出、第1位受賞。第8回ユルゲンソン国際作曲コンクールディプロマ入賞。 2023年NHK委嘱作品「機械の肌Ⅴ」が東京フィルハーモニー交響楽団によって初演。ハープと電子音響のための「美少女革命」が、ガウデアムス国際現代音楽週間 18の招待作品に。2019年ウクライナ外務省委嘱プロジェクト「幽体の鳥」がウィーン美術アカデミーにて上演。2022年ストラスブール現代音楽祭委嘱作品「人魚姫に別れを告げて」がリヨン・ビエンナーレにて初演。作曲家としてフィリップ・マヌリ国際作曲アカデミー、Elektro Arts、フランス国立舞台芸術センターに招待、上海国際電子音楽週間、ニューヨーク電子音響音楽祭、国際コンピュータ音楽会議等世界各国の音楽祭も。
ジェイムズ・マクミラン
1959年7月16日
イギリス
サー・ジェームス・ロイ・マクミラン(Sir James Loy MacMillan, CBE、1959年7月16日生まれ)は、スコットランドのクラシック作曲家、指揮者。 留学後はスコットランドに戻り、多作な作曲活動を行い、スコットランド室内管弦楽団のアソシエイト・コンポーザーとなり、しばしば教育プロジェクトに携わった。
伊藤美由紀
日本
愛知県立芸術大学、マンハッタン音楽院修士課程(NY)、コロンビア大学博士課程(NY)修了。芸術音楽博士(DMA)。コロンビア大学では、トリスタン・ミュライユ氏に師事。文化庁芸術家在外研修員として、IRCAM(フランス国立音響研究所)にて研鑽を積む。神奈川県合唱曲作曲コンクール、アボット室内楽作曲コンクール(ボストン)、Boris & Edna Rapoport賞(NY)、名古屋文化振興賞、日本交響楽振興財団作曲賞入選など、受賞。
鄧雨賢
1906年7月21日 - 1944年6月11日
台湾
鄧 雨賢(とう うけん、Teng Yu-hsien、1906年7月21日 - 1944年6月11日)は、日本統治時代の台湾の作曲家。唐崎夜雨のペンネームでも活動し、後に東田暁雨という日本名に改名した。 桃園県龍潭郷出身。広東省嘉応州鎮平県(現在の梅州市蕉嶺県)から移住した客家人の子孫。父の鄧盛猶が台湾総督府から台北師範学校(現在の国立台北教育大学)の漢文教師に招かれたため、3歳で父に従って台北に移住。1914年、艋舺公学校に入学した。1921年、15歳の時に台北師範学校に入学し、オルガンやマンドリンなどの西洋楽器に接した。1925年に卒業後に、大稲埕の日新公学校に勤務するが、24歳の時に日本に渡って作曲を学んだ。 作品のうち、『雨夜花』『望春風』『月夜愁』『四季紅』の4作品が特に有名で、4曲合わせて「四月望雨」と呼ばれる。
マティアス・ヴェックマン
1674年2月24日
ドイツ
バロック音楽初期から盛期にかけて活躍した、北ドイツの音楽家。ドレスデンでハインリヒ・シュッツ率いるザクセン宮廷楽団において、少年聖歌隊員として音楽教育を受け、さらにハンブルクの聖ペーター教会にて、名高いヤーコプ・プレトリウスにオルガンを師事。1637年に旧師シュッツに同行してデンマークを訪れた後、1638年から1642年までザクセン選帝侯の宮廷オルガニストを務め、(三十年戦争中の)1647年までにデンマークに復帰している。 1649年から1655年まで最後のドレスデン入りを果たし、ザクセン選帝侯が催した演奏対決でヨハン・ヤーコプ・フローベルガーと出逢う。二人は親友同士となり、終生にわたって互いに書簡を取り交わした。1655年に、ハンブルクの聖ヤーコプ教会専属オルガニストの称号を与えられ、余生を同地で過ごした。音楽団体コレギウム・ムジクムを創設するなど、ハンブルク時代が最も実り豊かな時期であった。オルガンのためのコラール変奏曲やコラール前奏曲のほか、イタリア音楽やフランス音楽に影響されたチェンバロのための小品を作曲。このほかに楽器のためのソナタに加えて、声楽のための宗教曲を遺している。
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