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作曲家一覧
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マウリシオ・カーゲル
1931年12月24日 - 2008年9月18日
アルゼンチン
アルゼンチンのユダヤ系の作曲家。20代でドイツに渡り、生涯をそこで過ごした。 1931年に、アルゼンチンのブエノスアイレスにて生まれ、作曲は独学で学ぶ。 1957年に、ケルンに移住し、ケルン放送の電子音楽スタジオで制作するなど、前衛音楽を推進。音楽と劇、映画を総合した芸術を提唱、独自の「総合芸術」として自ら企画して出演した。
ジェームス・ロード・ピアポント
1822年4月25日 - 1893年8月5日
アメリカ
ジェームズ・ロード・ピアポン(James Lord Pierpont、1822年4月25日 - 1893年8月5日)は、アメリカの作詞家、編曲家、オルガニスト、南軍兵士、作曲家で、1857年に「ジングル・ベル」を作詞・作曲したことで知られる(原題は「The One Horse Open Sleigh」)。 マサチューセッツ州ボストンで生まれ、フロリダ州ウィンターヘイブンで亡くなった。 ピアポンは今日では無名だが、彼の作曲した「ジングル・ベル」はクリスマス・ホリデーの代名詞となり、世界で最も演奏され、最も認知度の高い曲のひとつとなっている。
ジャック・デュフリ
1715年1月12日 - 1789年7月15日
フランス
フランスの作曲家、オルガン・クラブサン奏者。フランスのルーアンに生まれ、フランソワ・ダジャンクールから指導を受け、オルガニストとして活躍した。1742年以降はパリに永住。公式の役職には着くことはなかったがクラヴサン奏者兼教師として高い名声を得た。フランス革命(バスティーユ襲撃)の翌日に死没。生涯を独身で過ごし、財産の大半を30年間仕えた召使に遺したという。 ディフリはクラブサン曲集を4巻(それぞれ1744年、1748年、1756年、1768年)出している。
野本洋介
日本
1981年生まれ。千葉県出身。東京藝術大学器楽科卒業。 これまでに打楽器を菅原淳、有賀誠門、岡田知之、高田みどり、石内聡明の各氏に、音楽学を小山薫氏に師事。 「お寿司のわさび」的オケマンと「かゆいところに手が届く」的作編曲家を目指し、日々譜読みと〆切に追われている。 別府アルゲリッチ音楽祭、北九州国際音楽祭、東京・春・音楽祭等に出演。 第16回「国際音楽の日」コンサート(千葉市音楽協会主催)ではソリストとして自作の打楽器独奏と吹奏楽のためのコンチェルトを演奏。 第12回千葉市芸術文化新人賞受賞。 JPC(コマキ楽器)より打楽器アンサンブル曲を出版、全国で演奏されている。 現在、読売日本交響楽団打楽器奏者。横浜シンフォニエッタ、メンバー。 洗足学園音楽大学講師。
ジョヴァンニ・アニムッチャ
1571年3月20日
イタリア
ジョヴァンニ・アニムッチア(1500年頃 1571年3月20日頃)は、ローマの典礼音楽生活の中心に携わったルネッサンスのイタリア人作曲家でした。彼はジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナの最も重要な前任者の一人であり、おそらく彼の指導者でした。対抗宗教改革の激動の改革の間、彼は聖フィリッポ・ネリの礼拝堂のマエストロ・ディ・カペラと聖ペテロのカペラ・ジュリアとして、ローマ・カトリック教会のまさに中心で音楽を作曲していました。
ジョン・ダンスタブル
1453年12月24日
イングランド
ジョン・ダンスタブル(John Dunstable またはDunstaple, 1390年頃 - 1453年12月24日)は、中世からルネサンス期に活躍したイングランドの作曲家である。その生涯についてはほとんどわかっていない。中世西洋音楽からルネサンス音楽の移行期に重要な役割をした。イングランドのベッドフォードシャー州ダンスタブル(Dunstable)で生まれたといわれている。音楽家の他に、外交官、天文学者であったといわれる。ノルマンディー知事であるベッドフォード公爵ジョンに仕えた。
スティーヴ・ドブロゴス
1956年1月26日
アメリカ合衆国
スティーヴ・ドブロゴス(英: Steve Dobrogosz、1956年1月26日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家、ソングライター、ピアニスト。ペンシルベニア州ベルフォンテ(英語版)生まれ。
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