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作曲家一覧
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ジャン=バティスト・バリエール
1707年5月2日 - 1747年6月6日
フランス
バリエールは最初はヴィオラ・ダ・ガンバを学んでおり、ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ集も出版している。当時はチェロがフランスで普及し、ヴィオラ・ダ・ガンバに取って代わりつつあった時代であり(それはイタリアでは40年ほど前にすでに起こったことであった)、そのため彼はチェロの演奏を学び、やがて当時最も知られたチェロの名手の一人となった。
ネストル・マルコーニ
1942年6月15日
アルゼンチン
1942年6月15日、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ生まれ。11歳よりピアノと作曲の勉強を始める。音楽理論をアルトゥーロ・シュナイダー(Arturo Schneider)に、また和声と対位法をルイス・ミリシ(Luis Mirisi)に師事。父親に買ってもらったバンドネオンに魅せられる。現在、バンドネオンのヴィルトゥオーゾ、最高のテクニシャンと言われるマルコーニだが、バンドネオン奏法はピアノで学んだ事をバンドネオンに応用させる、という形で独学で習得したのである。と同時にその当時のラウレンス、トロイロ、ピアソラ他の楽団マスター達の演奏に触れ、多大な影響を受ける。16歳でプロデビュー(RosarioのラジオLT3スタジオ)。20歳より家族とともにブエノスアイレスに拠点を移す。ホセ・バッソのオーケストラのメンバーとなり、中南米ツアーやカーニョカトルセでの演奏活動をする。ピリオドタンゴ、モダンタンゴ、コンテンポラリータンゴの3つを兼ね揃えた心技体の全てで非の打ち所のないプレイを披露している人物の一人である。現在はセステートの活動が目立つオラシオ・ロモなどと並ぶ第一級の名人である。
フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー
1775年12月16日 - 1834年10月8日
フランス
フランソワ=アドリアン・ボワエルデューはフランスのオペラ作曲家・ピアニスト。19世紀前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスのモーツァルト」と呼ばれた。ただし、実際はベートーヴェンと同世代である。
フランチェスコ・バルサンティ
イタリア
フランチェスコ・バルサンティ(Francesco Barsanti, 1690年 - 1772年)は、イタリア出身の作曲家、フルート奏者、オーボエ奏者。イギリスで活動した。 ルッカ出身。1708年にパドヴァに行き科学を学んだが、パドヴァでの演奏会に触れて音楽に専念することに決めた。パドヴァで音楽を学んだ後、1714年からロンドンでオーケストラ奏者として活動した。1735年にスコットランドの女性と結婚し、以後スコットランドで生活をした。1750年にロンドンに戻ったが、今度はヴィオリストとしてだった。ロンドンの劇場で演奏活動を行ったが、貧困のうちに死去した。
ホアン・クリソストモ・アリアーガ
1806年1月27日 - 1826年1月17日
スペイン
フアン・クリソストモ・ハコボ・アントニオ・デ・アリアーガ・イ・バルソーラ(Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola, 1806年1月27日 - 1826年1月17日)は、スペインの作曲家。バスク人。スペインのモーツァルトとの異名をとる。
服部克久
1936年11月1日 - 2020年6月11日
日本
1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
国枝春恵
1958年2月24日
日本
東京都生まれ。熊本大学教授、日本現代音楽協会、21世紀音楽の会会員。 4歳より桐朋学園「子供のための音楽教室」において、ピアノとソルフェージュを習い始める。 桐朋女子中学校、東京都立芸術高等学校ピアノ科を経て、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院音楽研究科作曲専攻修士課程修了。作曲を池内友次郎、野田暉行、宍戸睦郎、オリヴァー・ナッセンに師事。ピアノを有賀和子、鷹取淑子に師事。
バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデ
スペイン
バルトロメオ・デ・セルマ・イ・サラベルデは、スペインの作曲家、ファゴット奏者。 クエンカ出身。宮廷音楽家だった父から音楽訓練を受けた後、聖アウグスチノ修道会に入った。その後中央ヨーロッパを旅し、1628年から1630年までインスブルックのオーストリア大公レオポルト5世の宮廷でファゴット奏者として働いた。その後、オーストリアやポーランド各地の宮廷に仕え、1638年にヴェネツィアで『カンツォーナ、ファンタジア、コッレンテ第1集』を出版した。その他に声楽曲の手稿譜が残存している。
マルコ・ウッチェリーニ
1680年12月10日
イタリア
マルコ・ウッチェリーニ(Marco Uccellini)はイタリア初期バロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト。生涯についてはほとんど分かっていない。1603年から1610年の間にフォルリンポポリで生まれたとされる。アシス神学校に学び、1641年から1662年までモデナのエステ家の宮廷楽長を務め、1647年から1665年までモデナ大聖堂の教会楽長も兼任。その後は没年までパルマ大公ファルネーゼ家の宮廷礼拝堂の楽長を務めた。1680年に逝去。ウッチェリーニはヴァイオリニストとして、スコルダトゥーラや弓の技巧の開発に寄与した。ウッチェリーニは主に器楽曲の作曲家であり、次のような作品を遺している。シンフォニア《大戦争》 Sinfonia "La Gran Battaglia"、シンフォニア《いとも甘美なる女(ひと)》 Sinfonia "La Suavissiva"、いくつかのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、シンフォニアとクーラント 作品2 Sonate, sinfonie et correnti, libro II (1639年)等。
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