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作曲家一覧
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カロル・シマノフスキ
1882年10月3日 - 1937年3月29日
ロシア
カロル・マチエイ・シマノフスキ(ポーランド語: Karol Maciej Szymanowski, 1882年10月3日または10月6日 - 1937年3月29日)は、ポーランドの作曲家。激動する時代に合わすかのようにその作風を何度か変えながら4つの交響曲、2つのヴァイオリン協奏曲、2つの弦楽四重奏曲、2つのオペラ、ピアノ曲や歌曲を残した。
ジローラモ・フレスコバルディ
1583年9月13日 - 1643年3月1日
イタリア
ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583年9月13日 - 1643年3月1日)は、初期バロック音楽の作曲家。声楽曲も遺しているが、とりわけ鍵盤楽曲の作曲家として重要。
ダーヴィト・ポッパー
1843年6月16日 - 1913年8月7日
オーストリア
ダーヴィト・ポッパー(David Popper、1843年6月16日 - 1913年8月7日 バーデン・バイ・ウィーン)は、オーストリア=ハンガリー二重帝国のチェロ奏者・作曲家。ユダヤ系チェコ人。プラハの音楽教師の家庭に生まれる。プラハ音楽院に学び、ハンブルク出身のチェリスト、ユリウス・ゴルターマン(de:Julius Goltermann)にチェロを師事して間もなく注目を集める。1863年に最初の演奏旅行を行い、ドイツでとりわけハンス・フォン・ビューローの称賛を浴びる。引き続きスイスやオランダ、イングランドでも成功を収める。
セシル・シャミナード
1857年8月8日 - 1944年4月13日
フランス
セシル・ルイーズ・ステファニー・シャミナード(1857年8月8日 - 1944年4月13日)は、フランスの作曲家・ピアニスト。出版作品と演奏活動によって、経済的に自立した最初の女性作曲家といわれる。とりわけピアノ曲《スカーフの踊り》(Pas des ?charpes)は世界的にヒットし、それを記念して1910年にはイギリスの香水会社によって彼女のプロフィールを付けた石鹸が発売された。
フーゴ・ヴォルフ
1860年3月13日 - 1903年2月22日
オーストリア
フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf、1860年3月13日 - 1903年2月22日)は、オーストリアの作曲家・音楽評論家である。シュタイアーマルク州ヴィンディッシュグレーツ( Windischgr?tz 現在のスロベニアのスロヴェニ・グラデツ)で生まれた。両親ともスロヴェニア人で、家名はもともとヴォウク(Vouk)と綴った。父親は皮商人(皮細工職人)で、熱心な音楽愛好家であった。その父親からフーゴはピアノとヴァイオリンを学んだ。
葉加瀬太郎
1968年1月23日
日本
葉加瀬 太郎(はかせ たろう、1968年1月23日 - )は、日本のヴァイオリニスト、ミュージシャン。本名:髙田 太郎(たかた たろう)。旧姓:葉加瀬。大阪府吹田市生まれ。2017年現在はロンドン在住。身長178cm。代表作は「情熱大陸」。 ハッツマネージメント所属。レーベルは自身が音楽監督を務めるHATS UNLIMITED。 妻はタレントの髙田万由子、義祖父は医学者の北岡正見。作曲家の高井達雄とは遠い親戚に当たる(血の繋がりはない)。
フィリップ・ゴーベール
1879年7月5日 - 1941年7月8日
フランス
フィリップ・ゴーベール(またはゴベール、Philippe Gaubert、1879年7月5日 ロット県カオール - 1941年7月8日 パリ)は、戦間期のフランスの重要な音楽家の一人。フルートのヴィルトゥオーソや威厳ある指揮者として知られ、また主にフルート曲の作曲家としても活躍した。1919年からパリ・オペラ座の音楽監督に就任し、パリ音楽院フルート科の教授や、パリ音楽院管弦楽団の首席指揮者も務めた。作曲家として決して革新的ではなかったが、フランクやドビュッシー、ラヴェルの試みをうまく取り入れ、こなしている。作品に、いくつかのバレエ音楽や交響曲、3つのフルート・ソナタがある。
村松崇継
1979年7月2日
日本
村松 崇継(むらまつ たかつぐ、1978年7月2日 - )は日本の作曲家である。静岡県浜松市出身。国立音楽大学作曲学科卒業。JCAA日本作編曲家協会理事。静岡県浜松市やらまいか大使。
平井康三郎
1910年9月10日 - 2002年11月30日
日本
平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年(明治43年)9月10日 - 2002年(平成14年)11月30日)は、日本の作曲家。本名、平井保喜(ひらい やすき)。高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った。伊野小学校から、1923年(大正12年)に旧制土佐中学校(現:土佐中学校・高等学校)入学。土佐中学校在学中に当時の校長:三根円次郎(ディック・ミネの父)が生徒向けに用意していた蓄音機で音楽を聴き、独学でヴァイオリンを練習したことがNHKのラジオ番組で息子の平井丈一朗によって語られた。
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