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作曲家一覧
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野平一郎
日本
作曲家、コンサート・ピアニスト、指揮者、音楽プロデューサー 東京音楽大学 次期学長に野平一郎が選任されました。 東京音楽大学(東京都目黒区 理事長 丸山恵一郎)は、野平一郎(のだいら いちろう)作曲「芸術音楽コース」教授を、理事会全会一致により、次期学長(第13代)として決定しました。就任は、2023年4月1日。任期は、2027年3月31日までの4年間。 第6回ジャック・ランスロ国際クラリネットコンクールファイナル曲委嘱
ロベール・プラネル
1908年1月2日 - 1994年5月25日
フランス
フランスの作曲家。モンテリマール出身。父親のアルフォンス・プラネル(1869年-1947年)は作曲家でモンテリマール音楽院の創設者であった。1914年から1918年までパリ国立オペラで最初のヴァイオリンのレッスンを受けた。1922年から1933年までパリ国立高等音楽・舞踊学校でヴァイオリンのほか、和声をジャン・ギャロンに、対位法をジョルジュ・コサードに、作曲をアンリ・ビュッセルとポール・ヴィダルについて学んだ。1933年にローマ賞を受賞し、1934年から1936年までイタリアに留学した。1945年からパリ市の音楽教育の総括監察官として活躍し、パリ地方音楽院を創設した。
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト
1814年5月6日 - 1865年10月8日
チェコ
オーストリア帝国(現在のチェコ)生まれのヴァイオリニスト・作曲家。 パガニーニを髣髴させる変奏曲や幻想曲を多く残し、生前は『ヴェニスの謝肉祭による変奏曲』作品18が彼の代名詞となっていた。パガニーニの後継者と目され、ヨーロッパ中を演奏して回ったエルンストは、1862年に神経痛のため引退し、その後も作曲を続けていたが1865年にパガニーニと同じくニースで没した。 現在では、難曲として知られるヴァイオリン独奏曲「フランツ・シューベルトの『魔王』による大奇想曲」作品26、「悲愴協奏曲」作品23などごく一部の作品が演奏されている。
ヘルマン・アンブロジウス
1897年7月25日 - 1983年10月25日
ドイツ
ヘルマン・アンブロジウス(Hermann Ambrosius, 1897年7月25日 - 1983年10月25日)は、ドイツの作曲家。ハンブルク出身。マクデブルク、ベルリン、ケムニッツ、ライプツィヒで音楽教育を受け、ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でハンス・プフィッツナーに師事。1925年から1942年までライプツィヒ放送局のエンジニアと音楽部門の責任者を務め、そのかたわら1926年からライプツィヒ音楽院で教職に就いた。第二次世界大戦後はフリーランスの音楽家として活動し、主にマンドリン音楽の分野で評価された。
マーティン・エレビー
イギリス
マーティン・エレビー(Martin Ellerby, 1957年 - )は、イギリスの作曲家。1957年、イングランド北部のワークソプに生まれる。ロンドンの王立音楽大学でジョーゼフ・ホロヴィッツに作曲を、後に個人的にウィルフレッド・ジョーゼフにも師事。その後、12年間、ロンドン大学で働き、スタジオ・ミュージック・カンパニーの編集長になるまで、作曲と対位法音楽の主任を務める。またイギリス空軍やフロリダ州立大学、セント・トマス大学、クリストファー・ニューポート大学でも教鞭を執っている。音楽のジャンルを問わず、数多くの作品を手がけているが、英国式ブラスバンド作品も技術的に難しいものが多い。
ファーディ・グローフェ
1892年3月27日 - 1972年4月3日
アメリカ合衆国
ファーディ・グローフェ( 1892年3月27日 ニューヨーク - 1972年4月3日 カリフォルニア州サンタモニカ、80歳没)は、アメリカの作曲家、ピアニスト、およびアレンジャー。本名はファーディナンド・ルドルフ・フォン・グローフェ。
バルバラ・ストロッツィ
1619年8月6日 - 1677年11月11日
イタリア
バルバラ・ストロッツィ(Barbara Strozzi, 1619年8月6日受洗 ヴェネツィア - 1677年11月11日 パドヴァ)はイタリア初期バロック音楽の作曲家・声楽家。台本作家ジュリオ・ストロッツィの養子であったが、おそらくその私生児であった可能性が高い。父ジュリオの音楽討論サークルに歌手や会員として参加し、またフランチェスコ・カヴァッリに作曲を師事。父親の死後に作曲と作品の出版を精力的に続け、出版譜の献辞から、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世や、リューネブルク公国后妃ゾフィーが初期のパトロンであったと察せられる。
チャールズ・ヒューバート・パリー
1848年2月27日 - 1918年10月7日
イギリス
初代准男爵サー・チャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1st Baronet, 1848年2月27日 - 1918年10月7日)は、イギリスの作曲家、教育者。ミドルネームの「ヘイスティングス」にあたる部分は英国でも「H.」と略記することが一般的である。ウィリアム・ブレイクの詩に曲をつけた聖歌『エルサレム』が有名となっており、BBCプロムスの最終夜で必ず演奏されるなどイングランドで国民的に愛されている。
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