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作曲家一覧
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ユリウス・フチーク
1872年6月18日 - 1916年9月15日
オーストリア
ユリウス・アルノシュト・ヴィレーム・フチーク(チェコ語: Julius Arnošt Vilém Fučík, ドイツ語: Julius Ernst Wilhelm Fučík, 1872年6月18日 プラハ - 1916年9月15日 プラハ)は、チェコの作曲家、軍楽隊指揮者。 生涯の大半を軍隊の吹奏楽で指揮者として過ごした。フチークは多産な作曲家で、300曲以上の行進曲やポルカ、ウィンナ・ワルツを作曲して名を馳せた。作品のほとんどが軍楽隊のために作曲されていることから、時に「ボヘミアのスーザ」とも呼ばれる。 現在でも、チェコではフチークの行進曲が愛国的な楽曲として演奏されている。しかしながら彼の名声を世界的なものにしているのは、最も有名な《剣闘士の入場 Vjezd gladiátorů 》が世界各地のサーカスで、ピエロ登場のテーマ曲として用いられているからに他ならない。
ヤン・クーツィール
1911年8月14日 - 2006年4月28日
オランダ
アムステルダム生まれ。1927年から1934年までベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)で作曲・ピアノ・指揮を学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の副指揮者となった。1949年からハーグ・レジデンティ管弦楽団とハーグ王立音楽院で働き、1950年にバイエルン放送交響楽団のカペルマイスターとなった。1966年から1976年までミュンヘン音楽大学で教鞭をとった。 作曲家としては3つの交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、合唱、オペラなどの作品がある。パウル・ヒンデミットの影響を受け、後期ロマン派の音楽(グスタフ・マーラーとリヒャルト・シュトラウス)を好んだ。
エリック・ウィテカー
1970年1月2日
アメリカ
エリック・ウィテカー(Eric Whitacre, 1970年1月2日 - )は、アメリカ合衆国の作曲家、指揮者。中でも、合唱曲と吹奏楽曲の作曲で広く知られる。
ヴィクター・ヤング
1899年8月8日 - 1956年11月10日
アメリカ
ヴィクター・ヤング(Victor Young, 1899年8月8日 - 1956年11月10日)は、アメリカの実在した作曲家、指揮者、編曲家、ヴァイオリン奏者。代表曲としてジャズのスタンダードとなった「星影のステラ (Stella by Starlight)」がある。 イリノイ州シカゴ出身のポーランド系ユダヤ人。最初コンサートヴァイオリニストとして出発したが、テッド・フィオリト楽団に参加したことで、ポピュラー音楽の分野に移った。多くの軽音楽を作り、ビング・クロスビーなどの歌手に曲を提供した。1930年代中頃より映画音楽に専念するために、ハリウッドに移った。 彼はアカデミー賞に22回ノミネートされたが、生前に受賞することはできず、死後に『八十日間世界一周』(1956年)でアカデミー作曲賞を受賞した。
ジェリー・ボック
1928年11月23日 - 2010年11月3日
アメリカ
ジェロルド・ルイス・ボック(1928年11月23日 - 2010年11月3日)は、アメリカのミュージカル劇場の作曲家。 1959年のミュージカル『フィオレロ!』でシェルドン・ハーニックと共にトニー賞最優秀ミュージカル賞とピューリッツァー賞演劇部門を、1964年のミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』でシェルドン・ハーニックと共にトニー賞最優秀作曲家・作詞家賞を受賞。
サルヴァトーレ・カルディッロ
1874年2月20日 - 1947年2月5日
イタリア
サルヴァトーレ・カルディッロ(1874年2月20日 - 1947年2月5日)はイタリア系アメリカ人の作曲家。 カルディッロが1911年に発表したロマンス『恩知らずの心』(Catarì, Catarì, pecchè me dici sti parole amare)は、アレッサンドロ・シスカ(リッカルド・コルディフェッロ)のナポリ方言のテキストにのせてアメリカで書かれたもので、イタリア系アメリカ移民による唯一の有名なナポリ歌曲である。
前久保諒
日本
作曲家。1991年生まれ、埼玉県出身。東京藝術大学音楽学部作曲科を経て、同大学院修士課程修了。主な仕事にNHK土曜ドラマ『17才の帝国』音楽、CM「大塚製薬 カロリーメイト『狭い広い世界で』 編」編曲(Mrs. GREEN APPLE《僕のこと》)。ぱんだウインドオーケストラのための吹奏楽曲《PANDASTIC!!》など。令和3年度東京芸術劇場アーツアカデミー研修生。Ensemble FOVEメンバー。
ジョゼフ・ジョンゲン
1873年12月14日 - 1953年7月12日
ベルギー
幼少時から楽才を発揮し、7歳という異例の若さでリエージュ音楽院に入学し、16年間を音楽の研鑚に捧げる。1891年にフーガで首席を獲得し、翌年にはピアノで指導者免状を、1896年にはオルガンでも免状を取得。13歳で作曲を始め、早晩この分野でも早熟な才能を発揮。作品1を出版する頃までには、すでに数十曲を作曲していた。記念碑的な力作《弦楽四重奏曲 第1番》(1894年作曲)は、ベルギー王立アカデミー主催の定例作曲コンクールに提出され、審査員から最優秀賞を授与された。
フランツ・アントン・ホフマイスター
1754年5月12日 - 1812年2月9日
ドイツ
フランツ・アントン・ホフマイスター(Franz Anton Hoffmeister, 1754年5月12日 – 1812年2月9日)は、ドイツの作曲家・楽譜出版者。 ホフマイスターは自作や多くの当時重要な作曲家(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、クレメンティ、アルブレヒツベルガー、ディッタースドルフ、ヴァンハルなど)の作品を出版した。