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作曲家一覧
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ヴァレンティン・シルヴェストロフ
1937年9月30日
ウクライナ
ヴァレンティン・ヴァシリョヴィチ・シルヴェストロフ(ウクライナ語: Валенти́н Васи́льович Сильве́стров, ラテン文字転写: Valentin Vasylyovych Silvestrov, 1937年9月30日 キエフ - )は、ウクライナの現代音楽の作曲家。 1937年、キエフ生まれ。ドイツ語系の技師と教師の家庭に生まれる。両親は息子に様々な種類の教育の機会を与えたが、音楽以外に魅かれなかった。音楽学校を卒業し、15歳から作曲を試み始めるものの、キエフ建築技術大学 (The Kyiv National University of Construction and Architecture) に入学する。3年後の1958年に同校を退学してキエフ音楽院に入学し、作曲をボリス・リャトシンスキーのクラスで学んだ。1964年に同音楽院を卒業。1960年代に『キエフ・アバンギャルド』に加わり(参加者にはレオニード・グラボフスキー、ヴィタリー・グズャツキー、ヴラディミール・グバ 、イーゴリ・ブラジュコフらがいた、反体制文化の活動をしていた。
挾間美帆
1986年11月13日
日本
挾間 美帆(はざま みほ、1986年11月13日 - )は、日本のジャズ作曲家、編曲家、指揮者。下述のように、国立音楽大学で学んだこともあり、ジャンルはジャズにとどまらず管弦楽や吹奏楽編成などの楽曲も手掛けている。
イヴァン・トレヴィーノ
アメリカ
イヴァン・トレビーノ (Ivan Trevino、1983 年生まれ) は、メキシコ系アメリカ人の作曲家、打楽器奏者、作家、芸術擁護者です。彼はアジアから南米、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンまで、世界中の聴衆と音楽を共有してきました。 作曲家兼ソングライターとして、イワンの音楽は 5 大陸、25 か国以上で演奏されています。彼は打楽器芸術協会の国際作曲コンテストで複数の賞を受賞しており、彼の名を冠した作品や楽曲が 70 以上あります。最近では、American Public Media の Performance Today で注目の作曲家として取り上げられました。
松下功
1951年11月23日 - 2018年9月16日
日本
東京都出身。東京芸術大学、及び同大学院にて作曲を南弘明、黛敏郎に師事。1977年、日本音楽コンクール作曲部門入賞。 1979年、ドイツ政府学術交流会(DAAD)給費留学生としてベルリン芸術大学にて、尹伊桑に師事。 1985年、ドイツ・メンヒェングラートバッハ市国際作曲コンクール1位。1986年、入野賞受賞。 1988年から2003年まで、東京芸術大学音楽学部作曲科非常勤講師、1991年から99年まで尚美学園短期大学音楽学科助教授、1999年から2003年まで尚美学園大学情報芸術学部教授を歴任、また、2003年には「アジア音楽祭2003in東京」実行委員長、1999年から2004年にはアジア作曲家連盟会長を務めた。
モーリス・デュリュフレ
1902年1月11日 - 1986年6月16日
フランス
モーリス・デュリュフレ(Maurice Duruflé, 1902年1月11日 - 1986年6月16日)は、フランスの作曲家・オルガン奏者。 ルーヴィエール出身でパリに没した。長寿ではあったが、出版作品は最も有名な《レクイエム》を含めて全部で14曲しかない。 1947年に、代表作となる《レクイエム》作品9を作曲、ポール・パレーの指揮により初演が行なわれた。フォーレの前例と類似点が見られるが、グレゴリオ聖歌やルネサンス音楽の影響がより強固である。 全曲の導入部分を含む多くの楽章(例えばサンクトゥスやアニュス・デイなど)で、グレゴリオ聖歌の『レクイエム』からのメロディの引用が見られ、それらの引用がデュリュフレ流の高度に洗練されたフランス和声や対位法により彩られている。 現在この作品には3つの版が存在している(オーケストラ伴奏版、小オーケストラ伴奏版、オブリガート・チェロ独奏つきオルガン伴奏版)。 ミサ曲《クム・ユビロMesse "Cum Jubilo" 》も、同様に3つの版が存在する。
フランソワ=ジョセフ・ゴセック
1734年1月17日 - 1829年2月16日
ベルギー
フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(François-Joseph Gossec,1734年1月17日 - 1829年2月16日)は、フランスで活躍したベルギー出身の作曲家・指揮者。長い生涯の間に、バロック音楽の終焉から初期ロマン派音楽の勃興までに遭遇した。 現在では一般的にヴァイオリンのための愛らしい小品「ガヴォット」1曲によって知られている。彼は交響曲の大家で30曲近くを書いた。パリ音楽院創立の際、作曲の分野における教授として招かれた。共和政・帝政時代の革命歌の作曲家としても歴史的に名を残している。
沼尻竜典
1964年10月9日
日本
沼尻 竜典(ぬまじり りゅうすけ、1964年 - )は、日本の指揮者、作曲家、ピアニスト。桐朋学園大学教授。 ブザンソン国際指揮者コンクール優勝後、国内オーケストラの主要ポストを歴任。海外での活動も多く、ロンドン交響楽団、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、シドニー交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、デュッセルドルフ交響楽団、ダルムシュタット国立歌劇場管弦楽団、ワイマール国立歌劇場管弦楽団、オーデンセ交響楽団(デンマーク)、ハイファ交響楽団(イスラエル)、香港フィルハーモニー管弦楽団などを指揮している。2008年にはカナダの名門、モントリオール交響楽団を指揮して北米進出を果たした。 作曲活動も行っており、女声合唱とピアノのための『ポケットの星』がカワイ出版より刊行されている。また、横浜みなとみらいホール委嘱の歌劇『竹取物語』は、同ホールで2014年1月にセミ・ステージ形式により初演されたあと、ハノイオペラハウスとびわ湖ホールでも上演された。
ヨーゼフ・ランナー
1801年4月12日 - 1843年4月14日
オーストリア
オーストリアの音楽家。 シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させたため、「ワルツの始祖」と呼ばれることがある。そして後にはヨハン・シュトラウス1世と対決しつつワルツを磨き上げていった(ワルツ合戦)。ワルツ、ポルカ、ギャロップ、レントラーなど400曲以上の舞曲などを作曲した。特に『シュタイアーマルク風舞曲』と『シェーンブルンの人びと』は、イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』にそのモチーフが採り入れられている。ショパンやスメタナ、リヒャルト・シュトラウスなどの作品にも影響を与えた。
ヴァン・マッコイ
1940年1月6日 - 1979年7月6日
アメリカ
アメリカ合衆国のミュージシャン、作曲家。1975年のヒット曲「ハッスル」で知られる。バーバラ・ルイスの「ベイビー・アイム・ユアーズ」の作者としても知られる。