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作曲家一覧
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アルフレード・カタラーニ
1854年6月19日 - 1893年8月7日
イタリア
アルフレード・カタラーニ(Alfredo Catalani, 1854年6月19日 - 1893年8月7日)は、イタリアのオペラ作曲家。 今ではヴェルディと同郷のプッチーニの名声の陰に隠れてしまったが、《ラ・ワリー》と《ローレライ》の2つの名作オペラを遺している。
ミロスラフ・スコリク
1938年7月13日 - 2020年6月1日
ウクライナ
ミロスラフ・スコリク(ウクライナ語: Мирослав Михайлович Скорик , Myroslav Myxajlovyč Skoryk), 1938年7月13日 - 2020年6月1日)はウクライナの作曲家、音楽理論家、音楽教育者。ウクライナ人民芸術家(英語版)とウクライナ英雄の称号を持つ。
さだまさし
1952年4月10日
日本
日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授[5][6]。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4,400回を越えている。トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表している。
加古隆
1947年1月31日
日本
日本の作曲家、ピアニスト。大阪府豊中市出身。東京藝術大学作曲科卒業、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院卒業。息子は俳優・声優の加古臨王。神奈川県湯河原町と長野県軽井沢町の2カ所にアトリエを構える。作曲においては、ジャズ・クラシック・現代音楽の要素を融合させた独自の作曲形式を確立しており、ピアニストとしては、自身の作品の演奏を中心に活動している。また、映像作品とのコラボレーションによる音楽も数多く手掛け、映像音楽の作曲家としても活動の幅を広げている。自身の作品によるコンサートは世界各国に及び、オリジナルアルバムは50作品を超える。ピアノから紡ぎ出される透明な音の響きから、「ピアノの詩人」あるいは「ピアノの画家」と称される。1980年代からかぶり始めた帽子がトレードマークとなっており、ステージでも必ず身につけている。コンサートでの演奏は全て暗譜で行う。
西邑由記子
日本
京都生まれ。1990年に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業した後、アルフレッド・リードの勧めで1991年からマイアミ大学大学院作曲科で、さらに1993年からマンハッタン音楽院修士課程作曲科で学んだ。 作曲を尾高惇忠、野田暉行、島岡譲、アルフレッド・リード、リチャード・ダニエルプア(en:Richard Danielpour)、ジャンパオロ・ブラカリ(Giampaolo Bracali)に、ピアノをアイヴァン・デイヴィス(en:Ivan Davis)、サラ・デイヴィス・ビュークナー(en:Sara Davis Buechner)に師事。 管弦楽曲や室内楽曲、器楽曲など数多くの作品を発表しており、尺八や中国古箏、二胡のための楽曲に至るまで、ジャンルを超えた活動を続けている。また、ピアニストとして編曲も数多く手がけている。 吹奏楽曲では「ブライト・ムーン」が1994年に、「スパークルベリー」が2007年に、それぞれコルチャーノ国際吹奏楽作曲コンクールで入賞している。
エイミー・ビーチ
1867年9月5日 - 1944年12月27日
アメリカ
創造的な作曲家として成功した最初のアメリカ人女性である。生前は当時の習慣に従ってビーチ夫人(Mrs. H.H.A. Beach) と名乗って音楽活動に携わった。
レオ・ブローウェル
1939年3月1日
キューバ
ハバナ出身。彼の祖母は作曲家のエルネスティーナ・レクオーナ・イ・カサド。アメリカ合衆国に留学し、ハートフォード大学、さらにジュリアード音楽学校で学ぶ。ジュリアード音楽学校ではステファン・ウォルペに師事。初期の作品はキューバの民俗音楽の影響を示している。しかし1960年代から1970年代にかけてルイージ・ノーノやヤニス・クセナキスのような現代音楽の作曲家に興味を持ち、「ソノグラマ1」のような作品では不確定要素を取り入れている。この時期の他の作品には「雅歌」(1968年)、「永遠の螺旋」(1971年)、「パラボラ」(1973年)、「狂おしい思い」(1974年)などがある。近年では調性と形式美に傾き、ギター独奏曲の「黒いデカメロン」(1981年)、「鐘のなるキューバの風景」(1987年)、「ソナタ」(1990年、ジュリアン・ブリームに献呈)などでその傾向を示している。 ギタリストとしては1980年代まで活動していたが、右手中指の腱を痛めたのがもとで以降は指揮活動を中心に活動している。
エバン・コール
1988年6月29日
アメリカ
子どものころ、日本のアニメ好きの友人の影響で『ポケットモンスター』や『デジタルモンスター』などを見るようになり、2004年には『SAMURAI 7』にハマって日本のアニメが好きになる。18歳までは、ブラインド・ガーディアン、ラプソディー・オブ・ファイアなどの欧州のパワーメタル、デスヴォイスを多用する北欧のブラックメタルなど、メタルを好んで聴いていた。 バークリー音楽大学を卒業後はハリウッドで映画音楽の道に進むか悩んだが、ジャンルの多様な日本の音楽業界での成功を目指し、観光ビザで来日する。3か月間の滞在期間中、シェアハウスのルームメイトの友人を介してElements Gardenに加入[2]、2012年より日本にて作曲活動を開始・活動していたが、2016年6月30日を以て脱退。以後は、ミラクル・バスに所属している。 2022年にはNHK大河ドラマ第61作目作品『鎌倉殿の13人』の音楽を担当。第1回放送では最終盤の劇伴音楽にドヴォルザーク作曲の交響曲第9番『新世界より』を用いて、その斬新さが話題となった。なお、本人曰く、『新世界より』の使用は演出の吉田照幸からの強い要望だったとのこと。
ミカエル・ジャレル
1958年10月8日
スイス
ミカエル・ジャレル(Michael Jarrell、1958年10月8日 - )は、スイスの現代音楽の作曲家。初期の作品は、演奏家のヴィルトオジティを最優先した上質のエクリチュール[1]を誇示していた。その後、ポストミニマルが流行をみせると、音列を32分音符のグリッドで千切りにした技法を用いるようになる。このパルセイションにさまざまなズレを与えて空間性を醸しだす音像つくりが評価され、数々の委嘱を得るほか、彼を頼って多くの留学生が門下生になるなど国際的な地位が向上する。その後、大編成の作品の委嘱が増えだすとラヴェルやドビュッシーを思わせるクラシカルな作風に傾斜する。