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作曲家一覧

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ニニ・ロッソ

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1926年9月19日 - 1994年10月5日

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イタリア

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ニニ・ロッソ(Raffaele Celeste Nini Rosso, 1926年9月19日 - 1994年10月5日)は、イタリア出身のミュージシャンでトランペット奏者、作曲家である。 ジャズ及びイージーリスニングのジャンルで活動し「トランペットの詩人」の愛称で親しまれた。

アロンソ・ムダーラ

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1580年4月1日

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スペイン

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スペイン・ルネサンス音楽の作曲家。ビウエラのための楽曲で知られるが、世俗歌曲の作曲家でもある。記録に残るうちでは、ギター曲を最初に出版した人物でもあった。 生地に就いては不明であるが、グアダラハラに育ち、おそらく同地で最初の音楽教育を受けた。カール5世の随行員としてインファンタード侯イーニゴ・ロペス・デ・メンドーサの一行に加わり、おそらく1529年にイタリアに行った。スペインに戻って司祭へ叙階され、1546年にセビリャ大聖堂で聖職者として地位を得ると、残りの生涯をその地で送った。セビリャ大聖堂での任務中に、すべての音楽活動を監督している。多くの記録は、そこでの彼の音楽活動については多くの記録が残っており、演奏家を雇ったり、新しいオルガンを調達して購入したり、様々な行事のためにフランシスコ・ゲレーロと手を組んで活動した。セビリャにて他界。残されたかなりの遺産は、遺志によってセビリャの街の貧民救済に使われた。

ディエゴ・オルティス

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スペイン

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ディエゴ・オルティスは、スペイン・ルネサンス音楽の作曲家・音楽理論家。当時スペイン領だったイタリア南部で活躍した。 生涯についてはごくわずかな情報しか残されていない。1553年にはナポリ副王領に住み、その後1558年にアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドによってナポリ宮廷の聖歌隊長に任命されている。

ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ

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1755年1月11日

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フランス

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ジョゼフ=ニコラ=パンクラス・ロワイエ(Joseph-Nicolas-Pancrace Royer, 1705年頃 - 1755年1月11日)はフランスのバロック音楽の作曲家、クラヴサン奏者。 サヴォイア公国(現在のイタリア・ピエモンテ州)のトリノに生まれ、1725年にパリへ移住。1734年にmaître de musique des enfants de Franceすなわちルイ15世の子供たちの音楽教師に任命される。1748年から、ヴァイオリニストのジャン=ジョゼフ・ド・モンドンヴィルと共に、コンセール・スピリチュエルを指導。1730年代と1750年代を通じて、パリ・オペラにて6作のオペラを作曲。その中では、バレエ《グレナダの女王ザイード Héroïque Zaïde, reine de Grenade》が最も有名である。1753年、栄誉ある王室音楽監督を拝命。同年、王立歌劇場管弦楽団の監督に任命された。パリで死去。

フローレンス・プライス

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1887年4月9日 - 1953年6月3日

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アメリカ

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フローレンス・プライス(英語: Florence Price、1887年4月9日 - 1953年6月3日)は、アメリカ合衆国の作曲家。アメリカ初の黒人女性の作曲家。旧姓はスミス(Smith)。

鄧雨賢

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1906年7月21日 - 1944年6月11日

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台湾

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鄧 雨賢(とう うけん、Teng Yu-hsien、1906年7月21日 - 1944年6月11日)は、日本統治時代の台湾の作曲家。唐崎夜雨のペンネームでも活動し、後に東田暁雨という日本名に改名した。 桃園県龍潭郷出身。広東省嘉応州鎮平県(現在の梅州市蕉嶺県)から移住した客家人の子孫。父の鄧盛猶が台湾総督府から台北師範学校(現在の国立台北教育大学)の漢文教師に招かれたため、3歳で父に従って台北に移住。1914年、艋舺公学校に入学した。1921年、15歳の時に台北師範学校に入学し、オルガンやマンドリンなどの西洋楽器に接した。1925年に卒業後に、大稲埕の日新公学校に勤務するが、24歳の時に日本に渡って作曲を学んだ。 作品のうち、『雨夜花』『望春風』『月夜愁』『四季紅』の4作品が特に有名で、4曲合わせて「四月望雨」と呼ばれる。

パーシー・フレッチャー

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1879年12月12日 - 1932年9月10日

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イギリス

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パーシー・イーストマン・フレッチャー(Percy Eastman Fletcher, 1879年12月12日 - 1932年9月10日)はイギリスのクラシック音楽の作曲家で、今日では吹奏楽や軍楽の音楽でよく知られている。また、ロンドンの劇場で音楽監督としても大成功を収めた。 フレッチャーが吹奏楽コンクールのために委嘱した作品には、1913年の全米選手権でアーウェル・スプリングス・バンドが優勝した際に使用したトーンポエム「労働と愛」などがある。この曲はしばしば、近代吹奏楽の運動とレパートリーの発展における重要な瞬間とみなされている。 フィリップ・スコウクロフトはこの作品を「あらゆる媒体における最も本格的な作品」と評価している。

ジャイルズ・ファーナビー

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イングランド

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16世紀末から17世紀前半に活動したイングランドの作曲家。 ヴァージナル職人だった従兄弟ニコラスの手引きで音楽に開眼する。1592年にオックスフォード大学で音楽学士号を取得。 ファーナビーの作品はヴァージナルのためのものが有名であり、とりわけ曲集《フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック》に収録された52の小品が名高い。ヴァージナル曲以外では、マドリガルやカンツォネッタ、詩篇がある。

村川千秋

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1933年1月1日

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日本

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山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業。1963年渡米、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。1966年帰国。東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後同楽団・札幌交響楽団・日本フィルハーモニー交響楽団・京都市交響楽団などを指揮する。 1968年、山形県初の本格的オーケストラ指揮者として山形新聞社の山新3P賞「進歩賞」を受賞。1972年、東北初のプロオーケストラ、山形交響楽団を設立。正指揮者に就任(のちに常任指揮者に)。1992年、山形県教育功労者表彰。1994年、渡邉曉雄音楽基金特別賞受賞。1995年、齋藤茂吉文化賞受賞。2001年、山形交響楽団創立名誉指揮者に就任。2004年、平成16年度地域文化功労者表彰受賞。2013年、村山市名誉市民。

ペーター・コルネリウス

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1824年12月24日 - 1874年10月26日

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ドイツ

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ドイツの作曲家。詩人・翻訳家としても活動し、音楽に関する著作も残している。 少年時代からヴァイオリンを弾き、歌曲の作曲をしていたが、初めて作曲を学んだのは1841年になってからだった。1844年から1852年まで、おじで画家のペーター・フォン・コルネリウス(1784年~1867年)のベルリンの家に身を寄せ、その間にアレクサンダー・フォン・フンボルトやグリム兄弟、フリードリヒ・リュッケルト、フェリックス・メンデルスゾーンら、同地の文化人に出逢う。ベルリン時代の終わりに、いくつかの雑誌に音楽評論を寄稿し、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフやパウル・ハイゼ、ハンス・フォン・ビューローらと親交を結んだ。

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