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2021/11/19
クラシック音楽の作曲家は個性的な人が多く、知ってみると面白いのですが、音楽の授業などでは少し固めに紹介されており、中々興味を持ちにくいのではないでしょうか。 そこで、作曲家の生涯をインタビュー形式で紹介する特集を始めます。キャラも様々で書いておりますので、是非お楽しみくださいませ!まずは、少し濃いキャラのベートーヴェンからです!
はるか数百年も前に作られた曲が、今も、そしてこれからも人々に愛され、語り継がれていく。クラシックの作曲家たちは偉大です。 彼らはどんな人物で、どんな人生を送ったのでしょうか。また、どんな哲学を持って音楽に向き合っていたのでしょうか。 「クラシックの作曲家がどのような思いであの名曲を作ったのか知りたい!」 「彼らの音楽の才能はいつ開花したのだろうか。本人の口から生い立ちを話してほしいなぁ」 そう思う方々はたくさんいると思いますが、数百年前に亡くなった彼らのインタビューをするなんて当然ながら不可能です。 だと、思いきや……! 願いは叶うものですね。なんとある日の夜、私は夢の中で彼らが現在過ごしている天国、その中でも偉大な音楽家やミュージシャン達が日々創作活動や演奏を行っているミュージック共和国に潜入することに成功。 街角にはジョンレノンやボブディランのようなロックミュージシャンたちがたむろしてましたが、私はやはり音楽の原点でもあるクラシックの偉大な作曲家たちに接触してみることにしました。 クラシックビルの受付嬢に話をしてみたところ、なんとベートーヴェン氏が会ってくれるとのこと。私は興奮と緊張を胸の奥におさえこみ、なぜか持っていたスマホのボイスメモを作動させたのでした…。
お会いできて嬉しいよ。こちらこそよろしくね。キミはどこの時代から来たんだい?
おお!そいつはクレイジーだね!パンクロックは主張の強い音楽だろ? 私があの当時やっていたのも主義主張を込めた音楽だったからね。もし私が現代を生きてたら、パンクロックをやってただろうね。 それはそうと、私ももう今年で251歳なのかぁ…(遠くを見つめながら)死んじゃってるから関係ないけどね!アハハハハ!
私は4歳の頃からピアノをやっているんだ。 父は宮廷のテノール歌手だったんだが、酒に溺れて全然働いてなくてね。そんな父が、音楽一家の出身で当時大スターだったモーツァルトさんを見てヒントを得てね。私のことをモーツァルトさんみたいな偉大な音楽家に育てようとしてスパルタ教育を始めた。 いやぁ、あれは辛かったな……(また遠くを見つめている) グスン…グスン……(泣いている)
ん?なにが?
あ、これ? ちゃうちゃう!隣のキッチンで今バッハくんが料理してるんだよ! 玉ねぎって目に染みてまいっちゃうよね!アハハハ!
いや、当時は私もまだ幼いからね。ピアノの練習なんかしないで、外で鬼ごっことかして遊びたかったよ…。 誰だって、無理矢理強要されてやることはなかな好きになれないだろ?だから私も幼い頃は音楽が嫌いだったよ。
スパルタの甲斐があってピアノはどんどん上達していってね。うまく弾けるようになってくると、「あれ?意外と楽しいんちゃう?」って思えてきた。 それで、7歳の頃に初めての演奏会をやったんだよ。今でいうワンマンライブってやつだね。 そこで私のピアノ演奏を聴いて喜んでくれる人達がいっぱいいてさ。 「彼は天才だ!」「彼は音楽の神の子だ!」 なんて言われちゃったりして嬉しかったよ。(照れている) キミもあれだろ?ライブでお客さんが笑顔になってたり、盛り上がってたりすると嬉しいだろ?
ちょっと待てちょっと待てお兄さん!(なぜそんなお笑いネタを知っている⁉) まだ子供の頃の話をさせてくれよ。子供が天才的なピアノプレイをやってのけると当然話題になるだろ?それでより話題を大きくするためにはどうしたらいいと思う? 年齢の詐称だよ。 実際の年齢よりもっと若く設定したんだぜ、うちのパパったら。それは酷いと思わない? 音楽に出会わせてくれたことには感謝してるが、うちの父はさっきも言ったようにアル中だったし、人としては尊敬できなかったね。
16歳の頃にウイーンに行ったんだ。今でいうツアーだね、ツアー。 そこでモーツァルトさんに会うことができたんだよ。すごくね?
でしょ? そんでね、「私の前でなにか弾いてみなさい」なんていうもんだから、はりきって即興演奏したんだよ。 そしたらさ、それがめちゃめちゃ受けちゃって。「ブラボー!彼は今後の音楽シーンを賑わせるであろう!」なんて言われちゃってさ。
そうだね。 それでモーツァルトさんに「弟子にしてください!」ってお願いしたんだけど、ちゃんと返事をもらう前にうちの母が亡くなっちゃってさ。 それで急遽地元のボンに逆戻り。結局モーツァルトさんの弟子にはしてもらえなかったよ。
いや、それはもうちょっとあとだね。 母が亡くなったあと、父は更に酒に溺れてしまってもうどうしようもなくてさ。弟が2人いたから、家族が食べていくお金を稼ぐためにピアノ弾きまくってた。 うん、めっちゃ弾いたなぁ。何かに没頭するともうハマっちゃって他のことできなくなるんだよね、私ったら。
それで私もやがて大人になってね。22歳の頃にハイドンさんに弟子入りしたんだ。ハイドンさんには作曲のあれこれを色々教わったよ。 それでそれから間もなく、父も亡くなるんだ。そこから弟たちを連れて、再びウィーンに戻ったんだ。 ウィーンってね。
そうそう。 それで1794年にリリースされた「ピアノ三重奏曲」が初めて作った曲。いい曲だよね、あれ。 うん、初めて書いたとは思えない。天才だね。
そこからは試練の連続だよ…。 28歳のときに難聴を患ってしまったんだ…。日に日に音が遠くなっていく感覚があって、私は絶望を感じた。音楽家だからね。耳が聞こえないなんて、もう人生終わったようなもんだろ? 実際に何度も自殺を考えたよ…。
やることを絞ったんだよ。そこから先は作曲活動だけに専念すると決めたんだ。 耳が聞こえなくても、譜面を書けば私の頭の中では音が聞こえるんだ。とても鮮明にね。キミが知ってる私の曲の数々は耳が聞こえなくなったあとに作った曲がほとんどだよ。 「エロイカ」「運命」「田園」とか聴いたことあるだろ?
エッヘン。 大先輩としてお答えしよう。それはずばり没頭することだ。なにごとでもそうだよ。極めたいことがあるのなら、それに没頭するんだ。 私は耳が聞こえなくなって以降の人生の大半を作曲活動に没頭した。
え?聞きたい? そっかー、どうしても聞きたいなら教えてあげてもいいよ? ちょっと外の自販機でコーヒー買ってきてくれる?
ありがとう、悪いね。 コーヒー大好きなんだよね。毎朝飲んでたもんな。死んでも飲んでるもんな。 コーヒー豆の数は必ず60粒ね。ちゃんと数えてから豆を挽いて、ゆっくりドリップするんだ。
あ?ああ、ごめんごめん。 どんなふうに作曲に没頭してたかっというと、1日の大半をピアノの前で過ごしたんだ。 食事もピアノの前でパンをかじってたし、食べかけのパンをピアノの横に放置してカビはえちゃっても気にしてなかった。トイレすらもピアノのすぐ横でしてたね。簡易トイレ使ってさ。限界通り越すくらい貯めこんでたよ。 それが原因かわかんないけど、お手伝いさんとか雇ってもすぐ辞めちゃうんだよなぁ。 なんでかな?
あとはね、22歳でウィーンに出てきて、56歳でポックリ死ぬまでの間に79回引っ越ししたんだよね。
人が人生を変えるのに最も簡単なのは、環境を変えることだ。 環境を変えるには、住む場所を変える・仕事を変える・付き合う人を変える。この3つしかない。 私の場合は仕事は絶対に変えたくないから、まず住む場所を変える。住む場所を変えると必然的に付き合う人も変わる。 環境を変えると、目に見える景色や受けるインスピレーション、日々思うこととか変わっていくだろ? それが作曲にもろに反映されるんだ。だから引っ越しをした。
まあ、あとは夜中にピアノ弾いてると隣の人と揉めちゃうんだよね、どうしても。 どっちかといえばそれが理由で引っ越すことが多かったかな。
そうなんだよねえ…。ちょっと人より神経質なところがあるから、よく揉めちゃうんだよね…。 そんな私と仲良くしてくれたのは、秘書のシンドラー。あとは弟子のツェルニーと、作曲家仲間のシューベルトくんかな。 ツェルニーは9歳のときに私の弟子になったんだけど、彼はピアノの才能があったねえ。のちにリストの師匠になったからね。だから私はリストの師匠の師匠だね。笑福亭なんちゃらみたいなノリだね。 シューベルトくんは凄く年下の作曲家だけど、とても才能があったし、ウマが合って仲良くなれたな。一緒にピクニックしたりさ。
私はいわゆる「古典派」と「ロマン派」の架け橋のような存在だったと思ってるよ。キミに分かるようにいうとロックとヒップホップの架け橋になったドラゴンアッシュみたいなもんかな。 初期の頃の私の曲はモーツァルトさんやハイドンさんの影響が色濃かった。しかし、耳が聞こえなくなって以降の私は自分自身のオリジナルを追求していったんだ。 実験的な曲構成や、一般的ではない技法を取り入れたりね。ビートルズみたいだね、そうやって考えるとね。
ハンマークラヴィーアだね。 イギリスのブロードウッド製のピアノとウィーンのシュトライヒャー 製のピアノ、音域の違う2つのピアノを使って作ったんだ。だから当時はこの曲の全ての楽章を1台のピアノで演奏することは不可能だった。 なんでそんな曲作ったのかって?50年後にはこの曲を演奏できるようなハイスペックなピアノが生産されるって確信してたからだ。それにこの曲は演奏の難易度もめちゃめちゃ高度で、私意外には演奏不可能とも言われていた。 しかし、その点でも50年後の人間なら弾ける、と私は思っていた。実際に20数年後にクララ・シューマンちゃんや、フランツ・リストくんがばっちり演奏してたよ。
うん、その曲は今でもいろいろな国で演奏してもらえてるみたいで嬉しいよ。 愛されてるなぁ、オレって。
え?もう終わり?なんだ~、もっと話したいこといっぱいあったのになぁ。 えーっと、現代の皆さん数百年経っても私の曲を愛してくれてどうもありがとう。 これだけは言いたいのは、私の肖像画がなんだかとても怖い顔してるからって、神経質な気難しい人なんだってイメージ持ってたりしないかな? 実際はそんなことないからね?
確かにかなり神経質なところもあるけどさ。でも意外とお茶目なんだよ、私ったら。 それにあの肖像画、口がへの字になってるでしょ?あれ、怒ってるんじゃないから。 ただ出っ歯かくしてるだけだからね。
うん。なんか私の遺骨からバレちゃったみたいで、マニアの間では有名みたい。
こちらこそありがとう。また会おうね。
というわけでまさかのベートーヴェン氏にインタビューすることができました。 現代の音楽には様々な音楽ジャンルがありますよね。歴史を辿れば、クラシック音楽が誕生したからこそ、現代の音楽があるのだと思います。 クラシックはどうしても敷居が高いイメージがあり、手を出しづらいジャンルかもしれません。この記事がもっとクラシックを身近に感じて気軽に楽しんでいただけるきっかけになっていけたら、筆者としてとても嬉しいです。 それではまた、夢の中で天国のミュージック共和国に潜入できることを願って…。次のインタビューでお会いしましょう。
中の人は、アマチュアオーケストラで打楽器をやっています