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作曲家一覧

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アルフレート・シュニトケ

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1934年11月24日 - 1998年8月3日

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ソビエト連邦

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ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる。 ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。 1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。1948年にモスクワに転居。1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経ても猶ロシアに根付いているロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。

冨田勲

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1932年4月22日 - 2016年5月5日

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日本

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1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの昨品がCD等で愛聴されている。 やがて古典的な「アコースティック楽器のオーケストラ」の音に飽きたらなくなり、当時新たに登場してきた電子機器と古典的楽器の音を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求するようになった。1969年に電子楽器モーグ・シンセサイザーに出会ったことを転機に、以降は古典的名曲を現代的な解釈を加えて編曲し、自宅スタジオでシンセサイザーを演奏・多重録音することが活動の中心となる。1974年発表のアルバム『月の光』がビルボード・クラシカルチャートで2位を記録し、続く『展覧会の絵』が同チャート1位となり世界的に名が知られた。

レオ・ブローウェル

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1939年3月1日

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キューバ

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ハバナ出身。彼の祖母は作曲家のエルネスティーナ・レクオーナ・イ・カサド。アメリカ合衆国に留学し、ハートフォード大学、さらにジュリアード音楽学校で学ぶ。ジュリアード音楽学校ではステファン・ウォルペに師事。初期の作品はキューバの民俗音楽の影響を示している。しかし1960年代から1970年代にかけてルイージ・ノーノやヤニス・クセナキスのような現代音楽の作曲家に興味を持ち、「ソノグラマ1」のような作品では不確定要素を取り入れている。この時期の他の作品には「雅歌」(1968年)、「永遠の螺旋」(1971年)、「パラボラ」(1973年)、「狂おしい思い」(1974年)などがある。近年では調性と形式美に傾き、ギター独奏曲の「黒いデカメロン」(1981年)、「鐘のなるキューバの風景」(1987年)、「ソナタ」(1990年、ジュリアン・ブリームに献呈)などでその傾向を示している。 ギタリストとしては1980年代まで活動していたが、右手中指の腱を痛めたのがもとで以降は指揮活動を中心に活動している。

挾間美帆

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1986年11月13日

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日本

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挾間 美帆(はざま みほ、1986年11月13日 - )は、日本のジャズ作曲家、編曲家、指揮者。下述のように、国立音楽大学で学んだこともあり、ジャンルはジャズにとどまらず管弦楽や吹奏楽編成などの楽曲も手掛けている。

中西圭三

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1964年11月11日

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日本

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中西 圭三(なかにし けいぞう、1964年11月11日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター、作曲家。岡山県倉敷市生まれ、児島郡灘崎町(現:岡山市南区)出身。倉敷市の慈愛幼稚園出身。岡山市立彦崎小学校、岡山市立灘崎中学校、岡山県立倉敷天城高等学校、日本大学経済学部卒業。 大学在学中、池田聡に出会い、サポートメンバー(コーラス)としてライブに参加する。1989年、池田のツアーにも参加。前後して作曲・編曲家である小西貴雄とのコンビで中山美穂、Wink、桜井幸子などに楽曲を提供、作曲家として活動開始。 名物かまどのCMソングも手がけている。

ロベール・プラネル

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1908年1月2日 - 1994年5月25日

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フランス

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フランスの作曲家。モンテリマール出身。父親のアルフォンス・プラネル(1869年-1947年)は作曲家でモンテリマール音楽院の創設者であった。1914年から1918年までパリ国立オペラで最初のヴァイオリンのレッスンを受けた。1922年から1933年までパリ国立高等音楽・舞踊学校でヴァイオリンのほか、和声をジャン・ギャロンに、対位法をジョルジュ・コサードに、作曲をアンリ・ビュッセルとポール・ヴィダルについて学んだ。1933年にローマ賞を受賞し、1934年から1936年までイタリアに留学した。1945年からパリ市の音楽教育の総括監察官として活躍し、パリ地方音楽院を創設した。

ジャック・アルカデルト

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1568年10月14日

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ベルギー

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ジャック・アルカデルト(Jacques Arcadelt)またはヤコブ・アルカデルト(Jacob Arcadelt, 1504年もしくは1505年 - 1568年 10月14日 パリ)は、盛期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家。姓についてはアルカデ(Arcadet)、アルカダン(Arcadent)とも。もっぱらマドリガーレやシャンソンのような世俗音楽の作者であった。出身はリエージュだった可能性が高いが、近年ではフランス人説も濃厚になってきた。生い立ちについてはほとんど判っていないが、1539年にはジュリア礼拝堂の一員となっていたので、その頃までにはローマに在住していたらしい。

ヘルマン・アンブロジウス

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1897年7月25日 - 1983年10月25日

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ドイツ

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ヘルマン・アンブロジウス(Hermann Ambrosius, 1897年7月25日 - 1983年10月25日)は、ドイツの作曲家。ハンブルク出身。マクデブルク、ベルリン、ケムニッツ、ライプツィヒで音楽教育を受け、ベルリン音楽大学(現在のベルリン芸術大学)でハンス・プフィッツナーに師事。1925年から1942年までライプツィヒ放送局のエンジニアと音楽部門の責任者を務め、そのかたわら1926年からライプツィヒ音楽院で教職に就いた。第二次世界大戦後はフリーランスの音楽家として活動し、主にマンドリン音楽の分野で評価された。

マーティン・エレビー

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イギリス

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マーティン・エレビー(Martin Ellerby, 1957年 - )は、イギリスの作曲家。1957年、イングランド北部のワークソプに生まれる。ロンドンの王立音楽大学でジョーゼフ・ホロヴィッツに作曲を、後に個人的にウィルフレッド・ジョーゼフにも師事。その後、12年間、ロンドン大学で働き、スタジオ・ミュージック・カンパニーの編集長になるまで、作曲と対位法音楽の主任を務める。またイギリス空軍やフロリダ州立大学、セント・トマス大学、クリストファー・ニューポート大学でも教鞭を執っている。音楽のジャンルを問わず、数多くの作品を手がけているが、英国式ブラスバンド作品も技術的に難しいものが多い。

ファーディ・グローフェ

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1892年3月27日 - 1972年4月3日

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アメリカ合衆国

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ファーディ・グローフェ( 1892年3月27日 ニューヨーク - 1972年4月3日 カリフォルニア州サンタモニカ、80歳没)は、アメリカの作曲家、ピアニスト、およびアレンジャー。本名はファーディナンド・ルドルフ・フォン・グローフェ。

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