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作曲家一覧
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マーヴィン・ハムリッシュ
1944年6月2日 - 2012年8月6日
アメリカ
アメリカ、ニューヨーク出身の作曲家。エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピューリッツァー賞をすべて受賞した人物はこのハムリッシュとリチャード・ロジャースの2人しかいない。 2012年8月6日、病気のためロサンゼルスで死去した。68歳没。
モーリス・ジャール
1924年9月13日 - 2009年3月29日
フランス
フランス・リヨン出身の作曲家。デヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『インドへの道』をはじめ、数多くの映画音楽を作曲した。アカデミー賞には9回ノミネートされ、3回受賞している。初期のジャールの映画音楽は、映画作家ジョルジュ・フランジュとのコラボレーションで知られる。後にピーター・ウィアーの作品にほとんど携わった。息子のジャン・ミッシェル・ジャールはシンセサイザー奏者である。2005年のヨーロッパ映画賞で、音楽家として初となる世界的貢献賞を授与された。
稲森安太己
日本
2006年 東京学芸大学教育学部芸術文化課程音楽専攻卒業。東京学芸大学大学院修了。それまでに作曲を山内雅弘、金田潮、河村めい子、ダニエル・ケスナーに師事。 2008年以後はドイツに住み、ヨハネス・シェルホルン他の教授陣の下で研鑽を積んでいる。日本人として、初めてベルント・アロイス・ツィンマーマン奨学金を受賞。その作品は尺八ソロのための作品であった。
西邑由記子
日本
京都生まれ。1990年に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業した後、アルフレッド・リードの勧めで1991年からマイアミ大学大学院作曲科で、さらに1993年からマンハッタン音楽院修士課程作曲科で学んだ。 作曲を尾高惇忠、野田暉行、島岡譲、アルフレッド・リード、リチャード・ダニエルプア(en:Richard Danielpour)、ジャンパオロ・ブラカリ(Giampaolo Bracali)に、ピアノをアイヴァン・デイヴィス(en:Ivan Davis)、サラ・デイヴィス・ビュークナー(en:Sara Davis Buechner)に師事。 管弦楽曲や室内楽曲、器楽曲など数多くの作品を発表しており、尺八や中国古箏、二胡のための楽曲に至るまで、ジャンルを超えた活動を続けている。また、ピアニストとして編曲も数多く手がけている。 吹奏楽曲では「ブライト・ムーン」が1994年に、「スパークルベリー」が2007年に、それぞれコルチャーノ国際吹奏楽作曲コンクールで入賞している。
エイミー・ビーチ
1867年9月5日 - 1944年12月27日
アメリカ
創造的な作曲家として成功した最初のアメリカ人女性である。生前は当時の習慣に従ってビーチ夫人(Mrs. H.H.A. Beach) と名乗って音楽活動に携わった。
ジョン・グラム
アメリカ
バージニア州シャーロッツビルで生まれ。幼少期にイギリスのサリーにあるチャーターハウス・スクールで歌とオーケストラの作曲を学びはじめ、伝統的なオーケストラ音楽を勉強しつつも、バンドで歌と演奏を始める。卒業後、ウィリアムズ大学 、スタンフォード大学 、UCLAで映画音楽を学び、ワーナー・ブラザースの専属オーケストレーターとして数多くのハリウッド映画音楽の編曲とオーケストレーションを手がける。高度なオーケストレーションと独自の制作手法を用いて、近代的なハリウッド・サウンドを紡ぎだすベテラン作曲家としてハリウッド映画音楽業界でも一目置かれる存在である。
ロディオン・シチェドリン
1932年12月16日
ロシア
ロディオン・コンスタンティノヴィチ・シチェドリン[1](ロシア語: Родио́н Константи́нович Щедри́н、ラテン文字転写の例: Rodion Konstantinovich Shchedrin, 1932年12月16日 - )は、ロシア人の作曲家。旧ソ連の指導的な作曲家の一人であり、1973年からソ連作曲家同盟の議長を務めた。 作曲家としての目立った活動に加えて、ピアノやオルガンのヴィルトゥオーゾとしても活動しており、自作の6つのピアノ協奏曲のうち半数は手ずから人前で初演した。 初期作品が調性的で、色彩的な管弦楽法を採り、しばしば民族音楽の要素を断片的に取り入れているのに対して、後期の作品は、音列技法や偶然性の音楽を取り入れている。 西側では、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチらの活動を通じてシチェドリンの作品が知られるようになった。
アレクサンドル・ギルマン
1837年3月12日 - 1911年3月29日
フランス
アレクサンドル・ギルマン(Alexandre Guilmant, 1837年3月12日 ブローニュ=シュル=メール - 1911年3月29日 ムードン)は、フランスのオルガニスト・作曲家。 1878年以降は旧トロカデロ宮でコンサートを開くなど、ヴィルトゥオーソとしての道を歩み、ヨーロッパの各地で演奏旅行を行い、オルガン音楽のレパートリー拡大と普及に尽力した。 また、後にアメリカでも演奏旅行を実現させ、フランス人で初めてアメリカで演奏会を行った作曲家として認められる様になった。 自分の楽器であるオルガンのための作品が多い。 その他のジャンルにおける作品は演奏機会が稀であるが、2曲のオルガン付き交響曲をはじめ、充実した和声語法、堅固で保守的な形式を備えている。 また、「交響的断章」は、トロンボーンの主要レパートリーとして定着し始めている。
ジョン・アイアランド
1879年8月13日 - 1962年6月12日
イギリス
ジョン・ニコルソン・アイアランド(John Nicholson Ireland, 1879年8月13日 – 1962年6月12日)は、イギリスの作曲家。スコットランド系。 アイアランドは、スタンフォードからドイツ音楽の古典、とりわけベートーヴェンやブラームスの作品について薫陶を受けたが、青年時代にドビュッシーやラヴェルの作風のほか、ストラヴィンスキーやバルトークの初期作品からさえ影響を受けた。これらの影響を通じて、独自の「イギリス印象主義音楽」を繰り広げたため、その頃イギリスで優勢を誇った民謡に依拠する様式よりも、フランス印象主義音楽やロシア象徴主義音楽に近似した、繊細・瀟洒な作風を示している。 他の印象主義の作曲家のように、アイアランドも自由な形式による性格的小品を好み、唯一のピアノ協奏曲を除けば、交響曲やオペラのような大作は手懸けなかった。いくつかの室内楽曲や、かなりの数のピアノ曲がある。とりわけピアノ曲「聖なる少年」(The Holy Boy )は、さまざまな編曲版を通じて最も有名なアイアランド作品となっている。
フランソワ=ジョセフ・ゴセック
1734年1月17日 - 1829年2月16日
ベルギー
フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(François-Joseph Gossec,1734年1月17日 - 1829年2月16日)は、フランスで活躍したベルギー出身の作曲家・指揮者。長い生涯の間に、バロック音楽の終焉から初期ロマン派音楽の勃興までに遭遇した。 現在では一般的にヴァイオリンのための愛らしい小品「ガヴォット」1曲によって知られている。彼は交響曲の大家で30曲近くを書いた。パリ音楽院創立の際、作曲の分野における教授として招かれた。共和政・帝政時代の革命歌の作曲家としても歴史的に名を残している。
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