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作曲家一覧
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パーシー・フレッチャー
1879年12月12日 - 1932年9月10日
イギリス
パーシー・イーストマン・フレッチャー(Percy Eastman Fletcher, 1879年12月12日 - 1932年9月10日)はイギリスのクラシック音楽の作曲家で、今日では吹奏楽や軍楽の音楽でよく知られている。また、ロンドンの劇場で音楽監督としても大成功を収めた。 フレッチャーが吹奏楽コンクールのために委嘱した作品には、1913年の全米選手権でアーウェル・スプリングス・バンドが優勝した際に使用したトーンポエム「労働と愛」などがある。この曲はしばしば、近代吹奏楽の運動とレパートリーの発展における重要な瞬間とみなされている。 フィリップ・スコウクロフトはこの作品を「あらゆる媒体における最も本格的な作品」と評価している。
レオン・ボエルマン
1862年9月25日 - 1897年10月11日
フランス
レオン・ボエルマン(Léon Boëllmann, 1862年9月25日 - 1897年10月11日)はフランス・オルガン楽派の伝統を汲む作曲家・オルガニスト・ピアニスト。アルザスオー=ラン県エンシスアイム出身。 フォーレと同じくニーデルメイエ宗教音楽学校でウジェーヌ・ジグーに師事した後、1881年からパリのサン・ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストを務めたが、結核のため35歳で死去した。 代表作に、オルガンのための《ゴシック組曲 'Suite gothique' 》作品25(なかでも「トッカータ」が有名)や《祈り》。アンドレ・ナヴァラが普及に努めた《チェロ・ソナタ》作品40のほか、《ピアノ四重奏曲》作品10や《ピアノ三重奏曲》作品19といった室内楽の創作にもすぐれている。フォーレに同じく、教会旋法を好んで用いた。
アラン・ファーニー
イギリス
アラン・ファーニーは1960年にスコットランドの鉱山村ニュートンレンジで生まれ、そこで同名のバンドでトロンボーンの演奏を学ぶ。 グラスゴーとロンドンで音楽を学んだ後、スコットランドのトップバンドのほとんどで演奏。カレドニアン金管五重奏団の共同創設者であり、現在もそのメンバーである。 アラン・ファーニーは現在エディンバラに住んでおり、教師、裁判官、管楽器奏者として活動しており、様々なバンドの指揮も行っている。 彼の数多くの作曲や編曲はイギリスやヨーロッパ各地で演奏されている。
ポール・ジャンジャン
フランス
フランスの著名な作曲家。ギャルド・レピュブリケーヌ楽団とモンテカルロ・オペラの首席クラリネット奏者。 主にクラリネットの作曲で知られているが、ファゴットやコルネットなどの他の楽器のためにも作曲をおこなった。 彼は最も重要なクラリネット教師の一人、クリソゴン・シリル・ローズに師事。 クラリネットのための作品は、技術的要素の練習のための研究として知られている。
ジャイルズ・ファーナビー
イングランド
16世紀末から17世紀前半に活動したイングランドの作曲家。 ヴァージナル職人だった従兄弟ニコラスの手引きで音楽に開眼する。1592年にオックスフォード大学で音楽学士号を取得。 ファーナビーの作品はヴァージナルのためのものが有名であり、とりわけ曲集《フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック》に収録された52の小品が名高い。ヴァージナル曲以外では、マドリガルやカンツォネッタ、詩篇がある。
逢坂裕
日本
青森市出身 独学で作曲を学び始め、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。 2004年、社団法人日本吹奏楽指導者協会より下谷賞受賞。 2014年、学内にて長谷川良夫賞受賞。 2015年、学内にてアカンサス音楽賞受賞。 主な作品に ソプラノサクソフォンとピアノのためのソナタ エクスタシス(2016) 交響曲(2017-2018) サクソフォン四重奏曲(2019) などがある。
フランシスコ・コレア・デ・アラウホ
スペイン
ルネサンス後期のスペインのオルガニスト、作曲家、理論家。 コレア・デ・アラウホはセビリアで生まれました。この時代のほとんどのスペインのオルガニストと同様に、彼の人生の詳細は不明瞭なために曖昧になっています。しばらくの間、彼の生没年さえも論争があった。彼の音楽的背景は不明である。彼はフランシスコ・デ・ペラサとディエゴ・デル・カスティージョの著作を研究して理論を学んだと主張した。 1599年に彼はセビリアで臓器官の任命を受けたが、ライバルのフアン・ピカフォルトとの訴訟に巻き込まれ、この任命の確認が6年間遅れた。 1608年に司祭に叙階された。彼は 1636 年までセビリアでその職を維持しました。他の職に何度か応募しましたが失敗し、1630 年に再び訴訟に巻き込まれ、短期間の投獄に終わりました。 1636年に彼はセビリアを離れ、ハエン大聖堂に着任した。 1640 年、彼はセゴビア大聖堂の警部に任命され、生涯の最後の 14 年間そこに留まりました。彼は極度の貧困の中でセゴビアで亡くなった。
村川千秋
1933年1月1日
日本
山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業。1963年渡米、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。1966年帰国。東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後同楽団・札幌交響楽団・日本フィルハーモニー交響楽団・京都市交響楽団などを指揮する。 1968年、山形県初の本格的オーケストラ指揮者として山形新聞社の山新3P賞「進歩賞」を受賞。1972年、東北初のプロオーケストラ、山形交響楽団を設立。正指揮者に就任(のちに常任指揮者に)。1992年、山形県教育功労者表彰。1994年、渡邉曉雄音楽基金特別賞受賞。1995年、齋藤茂吉文化賞受賞。2001年、山形交響楽団創立名誉指揮者に就任。2004年、平成16年度地域文化功労者表彰受賞。2013年、村山市名誉市民。
一噌幸弘
日本
東京都練馬区出身。安土桃山時代より続く能楽一噌流笛方、故一噌幸政の長男として9歳の時に「鞍馬天狗」で初舞台。以後、「道成寺」「翁」等数々の大曲を披く。能楽師として能楽古典の第一線で活躍する一方、篠笛、自ら考案した田楽笛、リコーダー、角笛など和洋各種の笛のもつ可能性をひろげるべく演奏・作曲活動を行う。1991年より能楽、自作曲、そしてクラシックの古典まで様々な楽曲をレパートリーに、自身の新しい解釈によるコンサート「ヲヒヤリ」を主宰するなど、能楽堂をはじめとする伝統的建造物や数々のホールにおいて、能楽古典や自作曲、西洋クラシック、ジャズ、即興等を、村治佳織、セシル・テイラーをはじめとする内外の様々な音楽家、交響楽団と競演し、他に類をみない和洋融合の音曲世界を創造している。
ピエール=マックス・デュボワ
1930年3月1日 - 1995年8月29日
フランス
フランスの作曲家。パリ音楽院教授。ダリウス・ミヨーの弟子。 タルヌ県グロレ生まれ。トゥール音楽院で音楽を学び、和声、クラリネット、ピアノで賞を獲得した後、パリ音楽院に入学した。作曲の師はダリウス・ミヨー。20世紀のあらゆる音楽的傾向に影響を受け、同時代に流行した音列主義や十二音技法とは一線を画し、調性と旋律に富んだ音楽を作曲した。1955年にはローマ大賞、1964年にはパリ市音楽大賞を受賞。 1967年から1995年まで、パリ音楽院(パリ国立高等音楽・舞踊学校)教授を務めた。
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