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作曲家一覧

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アンドリュー・トーマス

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1939年10月8日

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アメリカ

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アンドリュー・ウィリアム・トーマス(1939年10月8日生まれ)はアメリカの作曲家。 コーネル大学でカレル・フサに、パリでナディア・ブーランジェに師事し、ジュリアード音楽院で作曲の修士号と博士号を取得。 作曲に加え、トーマス博士はピアニスト、指揮者として演奏活動を行い、世界中で客員講師を務めている。 全米芸術基金からの助成金、ホワイトハウス大統領奨学生委員会からの特別教師賞など、数々の賞を受賞。

魯戴維

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中国

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17歳から作曲を始め、2019年、アメリカ・ボストン音楽院で学士号を取得。ソロ、室内楽、管弦楽などに加え、ジャズやゲーム音楽などの作曲も手掛ける。作品は、アメリカ、中国、ブラジル、オーストリア等で演奏されている。関心する分野は、聴覚記憶、非西洋楽器の使用などである。現在、東京音楽大学作曲家専攻博士課程に在籍。

エリック・タンギー

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1968年1月27日

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フランス

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1968年1月27日にフランスのカーンで生まれる。 彼はまず1985年から1988年までホラチウ・ラデゥレスク に作曲を学んだ。1988年にはダルムシュタット奨学金を得ている。その後パリ国立音楽院でイヴォ・マレクと ジェラール・グリゼーに師事し、1991年に作曲の最優秀賞を獲得して卒業した。 1993年から1994年にかけて在ローマ・フランス・アカデミーにいた他、タングルウッド音楽祭の講習会であるタングルウッド音楽センターでのアンリ・デュティユーの特別ゲストであり、シャンパーニュ・アルデンヌ(1995)、リール(1995)、ブルターニュ管弦楽団(2001~2003)、デンマークのホルステブロフェスティバル(2012)、フィンランドのコネ財団(2015)等にそれぞれ参加・招待されている。

コリン・マクフィー

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1900年3月15日 - 1964年1月7日

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カナダ

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コリン・マクフィー(Colin McPhee, 1900年3月15日 - 1964年1月7日)は、カナダの作曲家、音楽学者。バリ島に居住して、ガムラン音楽を西洋に紹介して、大きな影響を与えた。 モントリオール出身。ボルチモアとトロントで音楽を学んだ後、パリに留学してイシドール・フィリップに学び、さらにニューヨークでエドガー・ヴァレーズに師事した。1931年から1939年にかけてバリ島に居住し、ガムランを研究、民族音楽学に成果を残した。1936年にカルロス・チャベスの依頼で、管弦楽でバリの儀礼音楽を再現した『タブー・タブーアン(Tabuh-Tabuhan)』を作曲した。1958年よりカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教職についた。またジャズ評論家としても活動した。 友人にベンジャミン・ブリテン、レナード・バーンスタイン、ヘンリー・カウエル、カウエルの弟子のルー・ハリソンらがおり、彼らに影響を与えた。

大島忠則

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日本

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大阪音楽大学作曲学科作曲専攻卒業。作曲を故・前田行央氏、田中邦彦氏に師事。 サクソフォン四重奏やオカリナの作・編曲を数多く手がける。中でもサクソフォン四重奏編曲作品は、今までに全国の1000を超えるプロ・アマの団体によって広く演奏されている。 9年間大阪音楽大学付属音楽学園、同大学付属音楽院の非常勤講師を勤め、現在はフリーランス作曲・編曲家、ピアノ・ソルフェージュ講師として活動。 出演演奏会においては、ほとんどの作品の編曲・ピアノ演奏・プロデュースを手がけ、その温かみのある音楽とパフォーマンスは多くの観客を魅了する。 ヴォーカルアンサンブル「ヴォーチェ・ベルステラ」、「デュオ・セルリアン」専属伴奏者。 オカリナ作品…こきりこ幻想~二本のオカリナの為の三章、名もないちいさなシリーズ、七龍(オカリナセブン委嘱) 等。 サクソフォン作品…アルプスひと悶着、他編曲多数。

小橋稔

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日本

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小橋 稔(こばし みのる、1928年 - )は日本の作曲家。 東京芸術大学卒で声楽家として活動するが、後に石桁真礼生に師事。1960年代頃から作曲を始め前半は管弦楽で、後半は声楽作品で数々の賞を受ける。その後日本的な舞台作品、70年代は打楽器の作曲の時代に入る。国際現代音楽協会 (ISCM) などでも入選し海外でも演奏されている。代表作は1975年作の打楽器グループのための「阿呟」(あうん)がある。

ペーテル・エトヴェシュ

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1944年1月2日 - 2024年3月24日

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ハンガリー

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当時ハンガリー王国領のセーケイウドヴァルヘイ(ハンガリー語:Székelyudvarhely)(現在はルーマニア領)の生まれ。ブダペストとケルンで作曲を学び、1962年からハンガリーで映画音楽の作曲を始める。1968年から1976年にかけて、定期的に シュトックハウゼン・アンサンブルと演奏する。1979年、ピエール・ブーレーズの後を継いで、アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督兼指揮者となり、1991年までその職を続ける。教育の方はケルン音楽大学の現代音楽アンサンブルの指揮の教授を経て、カールスルーエ音楽大学の指揮科教授を務めた。

シルベストレ・レブエルタス

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1899年12月31日 - 1940年10月5日

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メキシコ

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ドゥランゴ州のサンチャゴ・パパスキアーロに生まれる。メキシコ市国立音楽院に学んだ後、テキサス州オースティンのセント・エドワード・カレッジと、イリノイ州シカゴ音楽大学に留学。ヴァイオリニストとしてリサイタルを開いた後、1929年にカルロス・チャベスの招きでメキシコ交響楽団の指揮者助手を1935年まで務め、チャベスとともに数多くの同時代のメキシコ音楽の普及に努めた。この頃から作曲活動に熱が入り始める。

ハリソン・バートウィッスル

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1934年7月15日 - 2022年4月18日

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イギリス

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イギリスの現代音楽の作曲家。ランカシャーのアクリントン生まれ。ブラス・バンドに親しむが、やがて作曲に転科。アレクサンダー・ゲール、ジョン・オグドン、ピーター・マックスウェル・デイヴィス、エルガー・ハワースとともに「マンチェスター楽派」を結成し、主に音楽劇の分野で頭角を現す。最初の成功作は、オペラ「パンチとジュディー」。器楽や声楽の分野でも職人芸的な技術は冴えており、ロンドン・シンフォニエッタのためにいくつかの室内オーケストラの作品を書き下ろしている。1990年代以降は、世界中に弟子が増えたために、イギリスに留まらない委嘱が舞い込み、国際的に重鎮と称えられるまでになったが、初期から中期の重要作はほとんど音盤化がなされなかったために、作風の全貌が把握されているとは言いがたい作曲家である。

アルフォンス・アッセルマン

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1845年3月5日 - 1912年5月9日

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ベルギー

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ベルギー出身のフランスのハープ奏者・作曲家。ハープ独奏曲を数十曲手懸けたが、なかでも演奏会用練習曲《泉 La Source 》作品44が名高い。ほかに、他者が作曲したハープ以外の楽器のための作品を、ハープ用に編曲している。また、ニコラ=シャルル・ボクサの校訂譜を作成した。パリ音楽院ハープ科の教授を1884年から没年まで務め、20世紀の数々の重要なハープ奏者を育成した。