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作曲家一覧
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ジョン・コプラリオ
イギリス
ジョン・コプラリオ(John Cop[e]rario, 1570年ごろ - 1626年)は、16世紀末から17世紀前半に活躍したイングランドの作曲家・弦楽器奏者。宮廷楽師としてヴィオラ・ダ・ガンバやリュートの演奏に携わった。
ベルンハルト・ロンベルク
1767年11月13日 - 1841年8月13日
ドイツ
ドイツのチェリスト、作曲家。 ベルンハルト・ロンベルクの父親であるアントン・ロンベルクはファゴットとチェロの奏者で、彼がベルンハルトに最初にチェロを教えた。ロンベルクは7歳で初めて公衆の前で演奏を行った。彼は同い年の従兄弟アンドレーアスと共にヨーロッパを旅したほか、ミュンスターの宮廷オーケストラにも参加した。 後にベルンハルトはアンドレーアスと共に、ボンの選帝侯ケルン大司教宮廷オーケストラ(宮廷楽長のアンドレア・ルケージが指揮者であった)に1790年に参加し、ここで彼らは若かりし日のベートーヴェンと出会った。ベートーヴェンはベルンハルト・ロンベルクの音楽家としての才能に敬服し、尊敬の念を持っていた。しかしながらロンベルクはベートーヴェンの音楽的アイデアの一部を理解しきれず、ベートーヴェンが彼のためにチェロ協奏曲を作曲するという申し出を、自分で作曲した曲を演奏することが第一だと言って拒絶したという。なお、ロンベルクはベートーヴェン没後の1828年2月7日に、指揮者として『レオノーレ』序曲第1番の初演を指揮している。 ロンベルクは、チェロの設計と演奏にいくつかの革新をもたらしたことで知られる。
ルドルフ・ハケン
アメリカ
ドイツ系アメリカ人作曲家兼ヴィオリスト。 全世界で稀な、5弦ヴィオラを奏する傍ら、マルチな音楽ジャンル(クラシック、現代音楽、ヒップホップ)演奏、作曲活動を続ける奇才。 教育活動にも熱心で、ウェスト・ バージニア大学で教鞭をとったのち、1996年よりイリノイ大学音楽学部教授としてヴィオラ、バイオリン、室内楽にて後進の指導にあたっている。
寺内大輔
1974年10月11日
日本
エリザベト音楽大学卒業,同大学大学院修了。九州大学大学院修了。 作曲を,伴谷晃二,近藤譲,クラース・デ・ヴリーズ,ヴィム・ヘンドリクスの各氏に師事 音楽は,室内楽,パフォーマンス作品,即興演奏,校歌など,多岐に渡る。 これまで,日本を含む13カ国の芸術祭,コンサートで作品発表・即興演奏を行い,楽譜・CD数点が国内外で発売中。
ヨハン・ハインリヒ・ブットシュテット
1666年4月25日 - 1727年12月1日
ドイツ
ヨハン・ハインリヒ・ブットシュテット(Johann Heinrich ButtstettまたはButtstedt、Buttstädt 1666年4月25日 - 1727年12月1日)は、ドイツのオルガニスト、作曲家。ヨハン・パッヘルベルの高弟であり、北ドイツ・オルガン楽派の終盤を代表する人物のひとりであったが、ブットシュテットの名前はヨハン・マッテゾンとの論争によって最も記憶されている。
ヨハン・クリストフ・ペツェル
1639年12月5日 - 1694年10月13日
ドイツ
ドイツの作曲家、ヴァイオリニスト、トランペット奏者。 グラーツ(現在のポーランド領クオーツコ)出身。1664年からライプツィヒ市にヴァイオリニストとして雇われ、1669年に都市楽師に昇格し、1672年にはコレギウム・ムジクムを創設した。1681年にバウツェンの都市楽師に就任した。 作品は器楽曲が中心で多くの曲集を残しており、楽器と管弦楽法の発展に影響を与えた。形式はドイツの組曲の伝統を受け継いでおり、作風はイタリア様式とフランス様式の影響を受けている。
ニーナ・シェンク
1982年2月14日
スロベニア
スロベニアの古典的な作曲家。リュブリャナ大学在学中の2004年、彼女はヴァイオリン協奏曲第1番でベルリンのヤング・ユーロ・クラシック・フェスティバルで第1位を受賞した。彼女の作品は世界中の多くの音楽祭やさまざまなオーケストラやアンサンブルで演奏されている。
山口哲人
日本
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学大学院修了。音楽理論、作曲を服部隆司、野田暉行、川井學、廣瀬量平ほかの各氏に師事。作曲集団「New Sound Scape ’96〜」同人。「21世紀音楽の会」会員。岩手大学教育学部特命准教授を経て現在、茨城大学教育学部准教授。群馬音楽アカデミー講師。作曲の傍ら等数多くのオーケストラ、合唱団の指揮指導にあたっている。近年はオペラ、ミュージカルの分野での指揮活動、児童との交流育成活動の他、病院、養護学校、福祉園等の福祉施設への慰問演奏、音楽療法の現場での活動など、広範囲に渡る音楽の普及、研究にも力を注いでいる。 様々なジャンル、編成による編曲も多数あり、クラッシック、ポピュラー音楽の分け隔てなく聴衆に楽しく聴いてもらい、かつ深い感動を与えられる音楽創りを目指している。
フランツ・シュレーカー
1878年3月23日 - 1934年3月21日
モナコ
フランツ・シュレーカー(Franz Schreker, 1878年3月23日 モナコ – 1934年3月21日 ベルリン)は、オーストリアの作曲家・指揮者。 もっぱらオペラの作曲家であり、「拡張された調性」という手法や綜合芸術という概念を20世紀音楽の表現法に持ち込んで、美学的な多様性(ロマン主義、自然主義、象徴主義、印象主義、表現主義、新即物主義)や音色の実験が特徴的な作風を繰り広げた。 シュレーカーは、ウィーン音楽院を卒業すると徐々にブラームスの影響力から離れ、リヒャルト・ワーグナーやリヒャルト・シュトラウス、ディーリアスやドビュッシーなど、多様な影響を折衷して独自の音楽語法を練り上げていった。基本的に調的な作曲家であるが、高度な半音階技法や複調の要素も組み合わされている。 また、旋律性よりも多彩な和音の音色や音響を重視する姿勢は、ポスト・セリエル音楽による音響作曲法の台頭した1950年代終盤に、テオドール・アドルノにより再評価された。