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作曲家一覧
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アレクサンダー・コミタス
1957年7月24日
オランダ
オランダの作曲家、指揮者、ピアニスト。本名はエデュアルト・デ・ブール(Eduard de Boer)。 ユトレヒト音楽院でトム・ボレン(Thom Bollen)にピアノを、ハンス・コクス(Hans Kox)に作曲を学び、マーストリヒト音楽院でアントン・ケルシェス(Anton Kersjes)に管弦楽指揮法を学んだ。 1981年から1990年にかけて、フリーランスのピアノ奏者として主にオランダ国内の放送局のオーケストラや合唱団で弾いていたが、その後作曲に専念するようになった。1994年からは母校のマーストリヒト音楽院で作曲を教えている。 管弦楽曲、吹奏楽曲、室内楽曲、声楽曲、劇音楽など、さまざまな編成のための作品がある。
清塚信也
1982年11月13日
日本
1982年に東京都に生まれる。1996年の調布市立第四中学校2年生在学時に「第50回全日本学生音楽コンクール」中学生ピアノ部門で入賞している。1998年に東京交響楽団との共演でデビュー。同年3月に行われた第3回浜松国際ピアノアカデミー「アカデミー国際ピアノコンクール」では第1位を獲得している。 2000年、第1回ショパン国際コンクールin ASIAで1位となる。2001年に桐朋学園大学付属ソリストディプロマコースに入学し、ロシアのモスクワ音楽院に留学もしている。2004年に日本イタリア協会第1回イタリアピアノコンコルソボローニャ部門でボローニャ大賞に次ぐ金賞受賞者の一人となる
田村文生
日本
東京都杉並区に生まれ、埼玉県川越市に育つ。埼玉県立川越高等学校卒業、東京芸術大学卒業、同大学院修了。ギルドホール音楽演劇学校大学院修了。1995年から1997年まで文化庁芸術家在外研修員としてイギリスにて研修。作曲を北村昭、近藤譲、松下功、R. サクストンに師事。 ブッキ国際作曲コンクール(ローマ)、安宅賞、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞、国立劇場作曲コンクール、ジェネシスオペラ作曲賞(イギリス)審査員特別賞など入賞・入選多数。アジア音楽祭、〈東京の夏〉音楽祭、Spitalfields音楽祭(ロンドン)、The State of the Nation音楽祭(ロンドン)、アジア作曲家協議会音楽祭(ソウル)、国際現代音楽協会(ISCM)世界音楽の日々(香港)など国内外の主要な音楽祭で作品が演奏されている。
マニング・シャーウィン
1902年1月4日 - 1974年7月26日
アメリカ
アメリカの作曲家。シャーウィンはフィラデルフィアで生まれ、コロンビア大学に通い、その後ミュージカルや映画で長いキャリアを積みました。 彼の最も不朽の作品は、1940 年にニュー・フェイセズのために書かれた、エリック・マシュヴィッツ作詞の「バークレー広場でナイチンゲールは歌った」の音楽である。戦時中のもう 1 つの成功作は、1939 年に出版された「フーズ・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト?」で、作詞はエリック・マシュヴィッツである。
アレクサンドル・ヴラディゲロフ
1933年8月4日 - 1993年6月15日
イタリア
アレクサンドル・ウラジゲロフ (1933 ~ 1993 年) は、 1956 年に国立音楽アカデミーを卒業し、ウラジ・シメオノフ教授から指揮を学び、父親からピアノと作曲を学びました。彼はキエフ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者であるナタン・ラーリンに2年間師事しました。1958年以来、プレヴェン、プロブディフ、ルセのフィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、1969年からは生涯の終わりまでブルガリア国立放送交響楽団の指揮者を務めた。彼はヨーロッパ、日本、キューバをツアーしました。彼はパンチョ・ウラジゲロフの舞台作品や交響曲作品を複数回演奏し、蓄音機で録音した。 彼は子供向けに 3 つの音楽劇を作曲し、非常に人気となり頻繁に上演されました。彼は交響楽団のための作品、室内楽作品、歌曲を書きました。彼のピアノ作品は、モスクワのワルシャワ (1955 年) とイタリアのボルツァーノ (1957 年) で開催された国際作曲コンクールで賞を受賞しました。
溝上日出夫
1836年8月15日
日本
1936(昭和11)年8月15日、溝上日出夫は福岡で誕生した。 国立音楽大学作曲科在学中に、『女声合唱曲集』が出版される。1959年、同大学を卒業。1960年代には、NHKの『うたのえほん』への楽曲提供を行った他、ドラマ『柔道一直線』などテレビの音楽を手がけた。 《みずいろの花》 、《もしもしこんにちは》といった声楽曲も発表している。1979年、演奏時間1時間におよぶカンタータ《函館幻想》を完成させた。 1989年6月には北京で、7月にはイタリアで作品展を開催するなど、国際的な活動もみられる。また、《ピアノ・ソナタ》がペルージャ現代音楽祭で演奏された他、オルガン曲の《雲 中供養菩薩「楽」 》やピアノ連弾と打楽器群による《呼応》、ピアノ連弾と弦楽合奏と打楽器群による《サイクロラーマ》は世界各地で演奏されてきた。
尾形敏幸
日本
尾形 敏幸(おがた としゆき、1956年 - )は、日本の作曲家。 東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業、同大学院修了。和声・対位法を尾高惇忠、作曲を矢代秋雄、甲斐説宗、三善晃に師事した。 1979年に、混声合唱曲「虹の輪」で笹川賞受賞。1980年に、女声合唱曲「憩らひ―薊のすきな子に―」で朝日作曲賞の前身である「創作合唱曲公募」入選。混声合唱曲「浅き春に寄せて」で神奈川県芸術祭合唱創作コンクール第1位。1997年に、無伴奏混声合唱のための「上代歌謡抄」で平成9年度文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。 現在は玉川大学芸術学部講師(作曲法)および洗足学園大学講師を務める。
大藤史
1974年8月17日
日本
宮崎県生まれ。 東京パフォーマンスドールとして、原宿ルイードをはじめ日本武道館・横浜アリーナ公演に出演。 CDではTPD DASH!!として「DASH!!」(1993)「【just】FINE」(1994)に参加。 1998年、「季節を抱きしめて」でソロデビュー。 同曲は初期プレイステーション用の伝説的ゲームソフト「やるドラ」シリーズ「季節を抱きしめて」のエンディング曲に抜擢。 同年、テレビアニメ「ポポロクロイス物語」テーマ曲「風の魔法」をリリース。 その後は作曲家として楽曲提供を続けており、乃木坂46「ここじゃないどこか」(NHK BSプレミアム「うさぎのモフィ」エンディング)、仲間由紀恵、原史奈、清水愛、菊地由美、井上喜久子などに幅広く楽曲を提供しながら、ロングセラーとなっている女声合唱組曲「あなたへのうた」など合唱曲や舞台音楽の等、活動の幅を広げている。またピアノ弾き語りでのライブ活動を継続中。
山本準
日本
ピアノを飯田喬子、作曲を野田暉行に師事。 テルミン奏者三毛子の伴奏者として活動中。1982年から1987年まで、クロスオーバー・バンド、Landscape 主宰。2016年に「戦争が廊下の奥に立ってゐた-渡辺白泉の句による~トランペット独奏のための」が曽我部清典氏により初演され、作曲活動を開始した。最近の作品としては「ディガンマ~オーケストラのための」(2022)「いざ出でむ雪見にころぶ所まで~邦楽七重奏のための」(2023年)。オーケストラプロジェクト会員、作曲家集団アルビレオ会員、日本音楽作家団体協議会(FCA)監事。
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