Carpe diem Philharmony
公式情報カルペフェスティバル2025《ライプツィヒ》
2025年05月11日(日) 13:30 開演
J.S.バッハ
カンタータ『最愛の神よ、われいつの日に死すや』BWV 8
/
メンデルスゾーン
男声合唱と2つの金管合奏のための祝典歌“グーテンベルク・カンタータ”MWV D4
/
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
/
瀧廉太郎
『四季の瀧』『花』『水のゆくえ』『別れの歌』
/
ブラームス
運命の歌 Op.54
みんなのコンサートメモ
使い方は十人十色。
書いて、音楽をもっと好きになろう。
聴きたい
気になるコンサートを
ブックマークしたい!
聴いた
今まで聴いたコンサートを
覚えておきたい!
出演した
演奏した時の経験を
次に活かしたい!
コンサートについて
旧東ドイツの都市ライプツィヒは、偉大な音楽家が活躍した音楽の都として知られています。時代や国境を越え、ライプツィヒを中心に育まれてきた
豊かな音楽文化を辿ります。
J.S.バッハは1723〜1750年までトーマス教会の音楽監督(トーマスカントル)を務め、教会カンタータをはじめ多くの傑作をこの地で生み出しました。
およそ100年後、メンデルスゾーンは死後忘れられていたバッハの音楽の再興に多大な功績を残します。ライプツィヒを拠点とするゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として活躍したほか、ライプツィヒ音楽院を設立し、名だたる音楽家たちを育てています。
メンデルスゾーンと同時期にライプツィヒに在住していたシューマン夫妻は、彼から多大な影響を受け、また音楽上の盟友でもありました。シューマンはライプツィヒ音楽院の教授にも招かれています。
ブラームスは青年時代にシューマンを訪ね、この出会いにより運命が変わりました。シューマンは彼の音楽を賞賛し、ライプツィヒの音楽出版社ブライトコプフ・ウント・ヘルテルに彼を紹介するなど作品を広める上で重要な役割を果たしたのです。
日本における西洋音楽の草分け的存在である瀧廉太郎は、日本の音楽史上3人目のヨーロッパ留学生として、当時ライネッケが学長を務めていたライプツィヒ音楽院に学びました。
このように脈々と続いてきたライプツィヒの音楽の系譜は日本で音楽を学ぶ私たちにも受け継がれています。器楽、声楽にともに取り組んできた当団の演奏会で、数百年の音楽史を辿る旅をどうぞお楽しみください。