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作曲家一覧
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エバン・コール
1988年6月29日
アメリカ
子どものころ、日本のアニメ好きの友人の影響で『ポケットモンスター』や『デジタルモンスター』などを見るようになり、2004年には『SAMURAI 7』にハマって日本のアニメが好きになる。18歳までは、ブラインド・ガーディアン、ラプソディー・オブ・ファイアなどの欧州のパワーメタル、デスヴォイスを多用する北欧のブラックメタルなど、メタルを好んで聴いていた。 バークリー音楽大学を卒業後はハリウッドで映画音楽の道に進むか悩んだが、ジャンルの多様な日本の音楽業界での成功を目指し、観光ビザで来日する。3か月間の滞在期間中、シェアハウスのルームメイトの友人を介してElements Gardenに加入[2]、2012年より日本にて作曲活動を開始・活動していたが、2016年6月30日を以て脱退。以後は、ミラクル・バスに所属している。 2022年にはNHK大河ドラマ第61作目作品『鎌倉殿の13人』の音楽を担当。第1回放送では最終盤の劇伴音楽にドヴォルザーク作曲の交響曲第9番『新世界より』を用いて、その斬新さが話題となった。なお、本人曰く、『新世界より』の使用は演出の吉田照幸からの強い要望だったとのこと。
松下功
1951年11月23日 - 2018年9月16日
日本
東京都出身。東京芸術大学、及び同大学院にて作曲を南弘明、黛敏郎に師事。1977年、日本音楽コンクール作曲部門入賞。 1979年、ドイツ政府学術交流会(DAAD)給費留学生としてベルリン芸術大学にて、尹伊桑に師事。 1985年、ドイツ・メンヒェングラートバッハ市国際作曲コンクール1位。1986年、入野賞受賞。 1988年から2003年まで、東京芸術大学音楽学部作曲科非常勤講師、1991年から99年まで尚美学園短期大学音楽学科助教授、1999年から2003年まで尚美学園大学情報芸術学部教授を歴任、また、2003年には「アジア音楽祭2003in東京」実行委員長、1999年から2004年にはアジア作曲家連盟会長を務めた。
沼尻竜典
1964年10月9日
日本
沼尻 竜典(ぬまじり りゅうすけ、1964年 - )は、日本の指揮者、作曲家、ピアニスト。桐朋学園大学教授。 ブザンソン国際指揮者コンクール優勝後、国内オーケストラの主要ポストを歴任。海外での活動も多く、ロンドン交響楽団、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、シドニー交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、デュッセルドルフ交響楽団、ダルムシュタット国立歌劇場管弦楽団、ワイマール国立歌劇場管弦楽団、オーデンセ交響楽団(デンマーク)、ハイファ交響楽団(イスラエル)、香港フィルハーモニー管弦楽団などを指揮している。2008年にはカナダの名門、モントリオール交響楽団を指揮して北米進出を果たした。 作曲活動も行っており、女声合唱とピアノのための『ポケットの星』がカワイ出版より刊行されている。また、横浜みなとみらいホール委嘱の歌劇『竹取物語』は、同ホールで2014年1月にセミ・ステージ形式により初演されたあと、ハノイオペラハウスとびわ湖ホールでも上演された。
蒔田尚昊
1935年3月13日
満州国
蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年3月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家である。別名︰冬木 透(ふゆき とおる)名義を用いる。 満洲国の首都新京出身で、14歳で母の郷里広島県へ戻る。広島県北の高校から広島市内の広島観音高等学校へ転校[2]して卒業する。1952年創立のエリザベト短期大学作曲科に入学し、宗教音楽専攻科を修了する。卒業後に、TBS(当時ラジオ東京)へ入社して効果を担当しつつ、国立音楽大学作曲科に編入する。 合唱曲、特に児童合唱のための作・編曲が多い。宗教曲(キリスト教)も書いている。 映画・テレビの音楽を担当する際は、冬木透の名前を用いる。この分野では、『ウルトラセブン』に始まるウルトラシリーズや、NHKの連続テレビ小説『鳩子の海』などが知られる。 『帰ってきたウルトラマン』の防衛隊・MATのテーマで流れる男声コーラス「ワンダバ」は、その後のウルトラシリーズの防衛隊音楽に大きな影響を与えた。
實川風
日本
千葉県旭市で生まれ、3歳よりピアノを始める。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、ならびに東京芸術大学音楽学部を首席で卒業し、同大学院修士課程修了。さらに、グラーツ国立音楽大学ポストグラデュエイト課程を修了。これまで、山田千代子、御木本澄子、多美智子、江口玲、マルクス・シルマー(英語版)の各氏に師事。
エリオット・カーター
1908年12月11日 - 2012年11月5日
アメリカ
アメリカの現代音楽の作曲家。チャールズ・アイヴズに推薦状を書いてもらい、大学に入学。ハーヴァード大学でウォルター・ピストンやグスタフ・ホルストに師事し、ケンブリッジのロンギー音楽院(英語版)やパリのエコールノルマル音楽院でも学ぶ。パリではナディア・ブーランジェの指導を受けた。作風は新古典主義から十二音技法へと推移し、「リズミックモジュレーション」や「ピッチクラス・セット理論」といった概念を打ち出して個性を確立する。『オーケストラのための変奏曲』、及び『弦楽四重奏曲第3番』でピューリッツァー賞を受賞。1970年代末にはピエール・ブーレーズが評価して、ヨーロッパ方面からの認知が進む。
ヨーゼフ・ランナー
1801年4月12日 - 1843年4月14日
オーストリア
オーストリアの音楽家。 シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させたため、「ワルツの始祖」と呼ばれることがある。そして後にはヨハン・シュトラウス1世と対決しつつワルツを磨き上げていった(ワルツ合戦)。ワルツ、ポルカ、ギャロップ、レントラーなど400曲以上の舞曲などを作曲した。特に『シュタイアーマルク風舞曲』と『シェーンブルンの人びと』は、イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』にそのモチーフが採り入れられている。ショパンやスメタナ、リヒャルト・シュトラウスなどの作品にも影響を与えた。
クット・アッテルベリ
1887年12月12日 - 1974年2月15日
スウェーデン
クット・マグヌス・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887年12月12日 - 1974年2月15日)は、スウェーデンの作曲家。名はクルト、姓はアッテベルイとも書かれる。チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。9曲の交響曲、5曲のオペラの他、多数の作品を残している。存命中は、スウェーデンの音楽の重鎮的存在であった。また、スウェーデンの作曲家協会・著作権協会の会長として活躍するなど、諸方面に活動的であった。
ペドロ・イトゥラルデ
1929年7月13日 - 2020年11月1日
スペイン
1929 - 音楽家。 スペインのナバーラ州ファルセフ生まれ。 10歳の時、サックスを父親から学ぶ。そして、17歳の時、自己の楽団を持つ。その後、スペイン音楽とジャズの融合を試みる。ドナルド・バードらと共演する。また、ベルリン・ジャズ祭などに出演。代表作に、「ジャズ・フラメンコ」など。
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