作曲家検索
作曲家一覧
761-770件 / 1157件中
フェルディナント・リース
1784年11月29日 - 1838年1月13日
ドイツ
フェルディナント・リース(Ferdinand Ries, 1784年11月29日受洗 - 1838年1月13日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。ベートーヴェンのピアノの弟子であり、晩年に師の回想録「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」を執筆したことで知られる。 ピアニストとしてキャリアをスタートし、終生にわたり作曲家として活動。交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ曲、室内楽曲、オペラ、オラトリオなど、未出版作品を含め約300曲の作品を残した。作品の多くは死後に忘れ去られていたが、近年、急速に録音が進み、研究活動も活発化している。ベートーヴェン作品に強く影響を受けた古典派様式から出発し、初期ロマン派からロマン派に至る作風を呈している。
幸田延
1870年4月19日 - 1946年6月14日
日本
クラシックの分野で日本初の作曲家とされ、妹のヴァイオリニス。である安藤 幸(あんどう こう)と共に、日本における本格的音楽家の草分けとされている. 1916年(大正5年)に作曲した神奈川県立高等女学校(現:神奈川県立横浜平沼高等学校)の校歌は、延が作曲した唯一の校歌である(作詞は佐佐木信綱)。この曲の冒頭はかつての弟子である瀧廉太郎が作曲した「荒城の月」と同じ音型だが、これは延による、早逝した弟子へのオマージュであるとの解釈がある。
ジャン=ピエール・ギニョン
1702年1月10日 - 1774年1月30日
イタリア
ジャン=ピエール・ギニョン、旧名ジョヴァンニ・ピエトロ・ギニョーネ、フランスとイタリアのヴァイオリンを作りました。 1741 年、フランス国民および「王立メートル・デ・メネトリエ」の称号を取得。ギニョンは、レポックのプレミア・ヴィオロン・オフィシエール・デュ・ロイヤル・シャントゥールとダンスールを監督しています。
アントン・ルビンシテイン
1829年11月28日 - 1894年11月20日
ロシア
アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン(ロシア語: Анто́н Григо́рьевич Рубинште́йн, 英語: Anton Grigoryevich Rubinstein, 1829年11月28日 - 1894年11月20日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。姓は日本ではドイツ語風にルービンシュタインと表記されることも多い。 弟のニコライも著名なピアニストである。ポーランド出身でアメリカで活躍した20世紀のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインと血縁関係はない。
夏田昌和
1968年7月2日
日本
作曲家 夏田鐘甲(韓国名:禹鍾甲)の長男として東京都に生まれ、幼少期よりピアノを学ぶ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京芸術大学作曲科へと進む。この間、作曲を野田暉行、永冨正之、近藤譲、スコアリーディングや伴奏法をアンリエット・ピュイグ=ロジェ他に師事した。1991年、同大学作曲科を首席で卒業。卒業作品として書いたオーボエ協奏曲「モルフォジェネシス」が芥川作曲賞にノミネートされて注目を集めたが、この時は受賞は逃している。また並行して、洗足学園大学指揮研究所において秋山和慶他に指揮法を学んだ。1993年、芸大大学院修士課程修了後に渡仏、パリ国立高等音楽院作曲科に入学し、作曲をジェラール・グリゼイ、指揮をジャン=セバスチャン・ベローに師事する。1997年、同院作曲科を審査員全員一致の首席一等賞他を得て卒業し、帰国。2002年「アストレーション」で2回目の芥川作曲賞ノミネート、同賞を受賞する。アンサンブル・アンテルコンタンポランやフランス文化省、サントリー音楽財団などより多くの作品委嘱を受けて作曲活動を続ける。
伊藤美由紀
日本
愛知県立芸術大学、マンハッタン音楽院修士課程(NY)、コロンビア大学博士課程(NY)修了。芸術音楽博士(DMA)。コロンビア大学では、トリスタン・ミュライユ氏に師事。文化庁芸術家在外研修員として、IRCAM(フランス国立音響研究所)にて研鑽を積む。神奈川県合唱曲作曲コンクール、アボット室内楽作曲コンクール(ボストン)、Boris & Edna Rapoport賞(NY)、名古屋文化振興賞、日本交響楽振興財団作曲賞入選など、受賞。
ニーナ・シェンク
1982年2月14日
スロベニア
スロベニアの古典的な作曲家。リュブリャナ大学在学中の2004年、彼女はヴァイオリン協奏曲第1番でベルリンのヤング・ユーロ・クラシック・フェスティバルで第1位を受賞した。彼女の作品は世界中の多くの音楽祭やさまざまなオーケストラやアンサンブルで演奏されている。
ヴォイチェフ・キラール
1932年7月17日 - 2013年12月29日
ポーランド
ポーランドの現代音楽・映画音楽の作曲家。キラルと表記される場合もある。 ルヴフ(現:ウクライナ・リヴィウ)生まれ。カトヴィツェで学んだ後、パリでナディア・ブーランジェの薫陶を受ける。幾つかの賞を受賞。(クシシュトフ・ペンデレツキ、ヘンリク・グレツキとともに)1960年代ポーランドのアバンギャルド運動に身を置く。1974年の交響詩『クシェサニ』が有名だが、1970年代中盤以降は、映画音楽の作曲家としても知られるようになり、ロマン・ポランスキー監督のハリウッド映画も手がけている。2001年1月にワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団により世界初演された、交響楽団、混声合唱と4人の独唱者のための『平和へのミサ A.D.2000』は、同年12月にバチカンのヨハネ・パウロ2世の前でも演奏された。
ジム・アンディ・コーディル
アメリカ
1932年、ケンタッキー州アシュランドに生まれたコーディル氏は、5歳のときに父親からトランペットを教わり、音楽家としてのキャリアをスタートさせた。1950年には全米チャンピオンのソリストとして全米をツアーした。モアヘッド州立大学(ケンタッキー州)で学士号、マーシャル大学(ウィスコンシン州)で修士号を取得するかたわら、コンサート・バンド、ジャズ・バンド、マーチング・バンドのために作曲と編曲を始める。教育者としてのコーディルは、1968年にパイクヴィル・カレッジ(KY)に赴任するまで公立学校で教えていた。パイクヴィル・カレッジでは、トランペット、音楽理論、オーケストレーション、教授法を教え、ウィンド・アンサンブルを指揮し、1997年に退職した。
チャック・マンジョーネ
1940年11月29日
アメリカ
チャック・マンジョーネ(Chuck Mangione、英語での発音により忠実な日本語表記は「マンジオーネ」、本名:Charles Frank Mangione、1940年11月29日 - )は、アメリカ合衆国出身のトランペット奏者、フリューゲルホルン奏者、作曲家。 ジャズ・フュージョンの活動で知られる。イーストマン音楽学校卒業。ラテン・テイストをふんだんに取り入れたメロディアスで心地よいナンバーを次々と発表し、全米で大ヒット。 代表曲「フィール・ソー・グッド(英語版)」は全米のヒットチャートでトップ5入りし、同タイトルのアルバムはBillboard 200のトップ2を獲得、ジャズでは異例の大ブレイクを記録した。 1980年の「栄光をめざして」は、同年のレークプラシッドオリンピックにちなんで制作され、人気のある曲である。マンジョーネは、フュージョンというジャンルのリスナーに愛されたミュージシャンであった。
PRおすすめのコンサート
第2回 Save The Cats Concert
音楽を聴いて、猫のためにちょっといいことをしませんか?
第22回みなとみらいアイメイトチャリティーコンサート
石田泰尚(ヴァイオリン)と上原彩子(ピアノ)によるチャリティーコンサート