指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ユヴァル・シャロン
出演:
イゾルデ:リーゼ・ダーヴィドセン、
トリスタン:マイケル・スパイアーズ
ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ
クルヴェナール:トマシュ・コニエチュニ
マルケ王:ライアン・スピード・グリーン
①概要
METのオペラを映画館で見られる素晴らしい取り組み。
ラ・ボエームが意外に良かったから、トリスタンも、という感じで。
正直、オペラは生だろう派ではあるが、金額的にも映画の金額なのでそんなに懐に痛くないし、という気軽な気持ちでの訪問。
②感想
(1)演出
新演出、みたいなヤツホント嫌いなんだよ。
一発目に目に入ったのが、舞台上をルーローの三角形(正三角形の各辺を膨らませたもの)の切れ目の間に、LEDの光で作った大きな丸。
なんだよ、これ的な。
どう見ても、いわゆる、神の永遠の見守りを表すプロビデンスの目というか。
思想性強い。
モダンであればあるほど、色々削ぎ落としすぎて、演出家の思想が強く出るというか。
演出のユヴァル・シャロンはイスラエル系両親のもとでシカゴで生まれたとのことなので、ユダヤ系だと理解していいのだろう。
ワーグナーは、論文「音楽におけるユダヤ性(Judaism in Music)」において、敵意に満ちた反ユダヤ主義を主張しており、死後、アドルフ・ヒトラーとナチス・ドイツによって「アーリア民族の優越性」や「英雄的ドイツ精神」を象徴するプロパガンダとして利用されてきたことは誰もが知っている事実である。ワーグナーの劇的で高揚感のある音楽がナチスのイデオロギーと合致して、ニュルンベルク党大会などで頻繁に演奏されたという話。
という意味でワーグナーとイスラエル、ワーグナーとユダヤ系というのは、現代でも、至って相性が良くないわけだが、まぁまぁユダヤ系の演出家がワーグナーをやるということで、結果こういう出来上がりというか。
まぁ、正直、演出に関しては結構ネガティブだったなぁ。
現実世界と夢/妄想世界間の行ったり来たりを舞台上で、ボディ・ダブルを使いながら現実の世界を示しつつ、プロビデンスの目の中で実際に歌手が歌い演じることで夢/妄想/頭の中の世界を描く。
わかりづらいって。
プロビデンスの目の光が、要は浮いた楕円の筒の奥枠の部分のに付けられたLEDライトになっていて、演者は楕円の筒の中で演技ができるようになっている。
現実世界を示す舞台上は、上からのカメラで、ルーローの三角形部分に映像として映される。
ガチャガチャして見づらいって。
散らかった花びらや食事、そういうのが汚く飛び散るところをスクリーンにわざわざ映さずとも。。。
テーブルと手術台が同じ台という。。。
最後の最後、第3幕、愛の死のアリアに至るまで、筒の中で死にゆくトリスタンを囲む子宮の形をしたLEDの枠、トリスタンを追いかけてきて、愛の死を歌って死ぬイゾルデが妊娠していて、新たな生命が誕生するとか。トリスタンとイゾルデは、愛と死と再生の物語という設定ではあるけど、まぁなんというか、こういう「再生」なんですかね。
「愛」=「死」であり、肉体的な死を通じて、永遠に結ばれる(=再生する)みたいな、すなわちなんというか日本で言うなら曽根崎心中的な、死による永遠の愛、みたいな設定だと思ってたんだけれども。
なんか正直あんまピンとはこない
(2)歌
しかし、最後の最後、ダーヴィドセン演じるイゾルデの歌う愛の死のアリアは、本気素晴らしく、これを聴くために4時間以上の前座を見ていたと言っても過言ではない、と感じた。
正直あのLEDライトの丸で装飾された筒が宙に浮きながら、右へ行ったり左へ行ったり、みたいな演出に笑いしか起きなかった。
どんなに演奏と歌が素晴らしくても、ギャグなんじゃないかとしか思えなかったと言うか。
そんな演出に対するネガティブな印象を4時間以上持っていたにも関わらず、最後の最後涙出そうになるって本気ですごいと思う。
まぁ、トリスタンとイゾルデって、ほんと、これを聞かせるための長い長い前座があるという、そういうオペラ/楽劇だと思うんだよね。
(3)オケ
いやぁ素晴らしい。
ネゼ=セガンの指揮によるMETオケは、こんな難しいワーグナーの曲を相当丁寧に弾いていて、没入感が凄かった。
長かったっちゃ長かったし、疲れたっちゃ疲れたし、演出のギャグ感半端ないんだが、長時間聞けたのは、ひとえに演奏と歌のおかげ。
まぁ、METオペラライブビューイングはぜひまた行こうと思つた。
あとは、エフゲニー・オネーギンは行こうかなと。
https://www.shochiku.co.jp/met/program/6908/
2025年09月26日 23:57