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作曲家一覧
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外山雄三
1931年5月10日
日本
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者、作曲家。東京市牛込区(現:東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。父は、作曲家の外山國彦。弟は、声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
アルベルト・ヒナステラ
1916年4月11日 - 1983年6月25日
アルゼンチン
ブラジルのヴィラ=ロボス、メキシコのチャベスやポンセらと並び、ラテンアメリカでもっとも重要なクラシック作曲家の一人である。ヒナステラとはスペイン語読みであるが、イタリア系アルゼンチン人である彼の苗字はジナステラと読むのが正しく、彼自身もそう発音されることを望んでいた。
マラン・マレー
1656年5月31日 - 1728年8月15日
フランス
マラン・マレー(マレ、Marin Marais、1656年5月(洗礼:31日) - 1728年8月15日)は、フランスの作曲家、指揮者、バス・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者。パリ南の貧民街で見習い靴職人の子供として生まれ、幼少の頃から音楽の才能を認められて1667年にはパリ第一の音楽教育機関だったサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の聖歌隊に入り、1672年までフランソワ・シャプロンなどのもとに教育を受ける。
池辺晋一郎
1943年9月15日
日本
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。
クロード・トーマス・スミス
1932年3月13日 - 1987年12月13日
アメリカ
クロード・トーマス・スミス(Claude Thomas Smith, 1932年3月13日 - 1987年12月13日)は、20世紀中期に活躍したアメリカ合衆国の作曲家。 吹奏楽作品は知られているだけで125曲ほどあり、初期の作品Emperata Overtureから、スミスが亡くなってから出版されたLegacyまで、またきわめて高難度の作品から教育的な平易なものまで、多様な作品が書かれている。今日でもこれらの作品の人気は低下することなく演奏されている。その他にも合唱作品や管弦楽作品、室内楽なども作曲している。
フリードリヒ・クーラウ
1786年9月11日 - 1832年3月12日
イタリア
フリードリヒ・クーラウ(Daniel Friedrich Rudolph Kuhlau, 1786年9月11日 - 1832年3月12日)は、ドイツの作曲家。後にデンマークの首都コペンハーゲンに移住した。 フルートの作品を数多く作曲し、同時代の作曲家ベートーヴェンに作風が似ていたため「フルートのベートーヴェン」と呼ばれることもある。
ジョン・ダウランド
イングランド
ジョン・ダウランド(英語: John Dowland)は、イングランドのエリザベス朝後期およびそれに続く時代に活動した作曲家・リュート奏者。 デンマーク王クリスチャン4世の宮廷リュート奏者や、イングランド王ジェームズ1世およびチャールズ1世の宮廷リュート奏者を務めた。エリザベス朝前後に流行したメランコリア(憂鬱)の芸術の巨匠とされ、特に代表作であるリュート歌曲『流れよ、わが涙』(1600年)とその器楽曲版『涙のパヴァーヌ』は当時の欧州で群を抜いて最も高名な楽曲として、東欧を除く全ヨーロッパで広く演奏された。
フランソワ・ボルヌ
フランス
フランソワ・ボルネ(1840-1920)は、ボーンと綴られることもあり、 「トゥールーズ音楽院」の作曲家兼教授であるボルドー大劇場のオーケストラと共演したフランスの フルート奏者でした。[1]彼はフルートの技術的改善で知られています。[2]さらに、彼はロマン派フルートのレパートリーの定番である ビゼーのカルメンからのテーマに関する彼の作曲FantasieBrillanteで今日記憶されています。
ジョン・フィリップ・スーザ
1854年11月6日 - 1932年3月6日
アメリカ
ジョン・フィリップ・スーザ(英語: John Philip Sousa、1854年11月6日 - 1932年3月6日)は、アメリカの作曲家、指揮者。 『雷神』『ワシントン・ポスト』、『星条旗よ永遠なれ』など100曲を超えるマーチを作曲し、「マーチ王」と呼ばれる。ほかオペレッタや組曲などを作曲した。